しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、
最初の宮を見たことのある老人たちは、彼らの目の前で
この宮の基が据えられたとき大声をあげて泣いた。
一方ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
そのため、だれも喜びの声と民の泣き声とを区別することが
できなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は
遠い所まで聞こえた。
(エズラ記第3章 12・13節 )
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イスラエル人たちは自分の家がたてられたよりも大喜びだったに
違いない。こんなにも神殿を大切にする宗教は見たことがない。
主の家なのだからイスラエルのすべての人の家なのである。
わたしの自宅は主ご自身の命令で献堂式をすませ聖堂となっているので、
上記引用聖句のイスラエルのよろこびがとてもわかりすぎるほどわかる。
主の家はみんなの家なのである。
「わたしの家はすべての人の祈りの家となるべきである」という主イエス・キリスト
ご自身のみことばをけっしてわすれないようにしようと思う。
だから毎日、この家でお祈りをし、ディボーションをし、宣教をするのである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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