ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(三浦綾子):感謝し祈ることの自由。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年06月15日 00時06分15秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか
   不満がない時でさえ、人間はまずその不満を
   真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。
   自分を顧みてつくづくそう思う。
   なぜわたしたちは不満を後回しにし、感謝すべきことを
   先に言わないのだろう。

    (「明日のあなたへ」三浦綾子著 集英社 )

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 この言葉を書いた人はいつも2つ3つの病気を背負い込みいつも苦しんでいた人である。
 とてもそのような苦しみをかかえている人の言う言葉とは思えない。この人の内と外にお住みになってくださった主の主王の王主イエス・キリストご自身がこの人の病気の状態まで知りつくしておられながら、なおこの人の個性のすべてを用いて上記引用の言葉を言わせたのだ。
 この事実にフツーのクリスチャンのわたしは「主の創造のみわざ」ということに思いをはせざるを得ない。
 「主の主王の王主イエス・キリストの創造のみわざ」は決して六日間で終わり、七日目でみわざを終えて休まれてしまったのではないということが、このわたしのようなフツーのクリスチャンにもわからせていただける。主イエス・キリストがお生まれになった二千年ほど前主のふるさとの国の宗教では一週間のうちの七日目を安息日として特別に神のことを考える日、神に自分の全身全霊を向ける日として神聖視しすべてのほとんどすべての労働を休んだ。いわゆる「安息日規定」である。
 わたしはフツーのクリスチャンとして主イエス・キリストのみわざに従う、少なくとも従おうとさせていただくように祈り求める者として、朝晩の祈りの中で、「毎日が安息日」という意識をもってお祈りさせていただいている。そして毎日朝晩と言わず、その日その日「あっ、感謝だ」と主に促された時は必ず「感謝の祈り」をさせていただく。
 それでも三浦氏のご指摘のとおり、わたしは「感謝の祈り」よりも「不満」の方が多いいなと主ご自身よりの悔い改めをせまられた。
 しかし? とわたしは「悔い改めのお祈り」主より頂いた後、ふと考えたことがある。
 「憲法」。
 それこそ民主主義国家ならどこの国でも「憲法」によって保障されている、「信教の自由」「思想の自由」「信条の自由」「良心の自由」「表現の自由」「集会・結社の自由」そして「言論の自由」などの基本的人権の尊重に基づく「人間の自由」を自分でブチコワシテしまわないようにしなければならないと、主イエス・キリストの御名によって「自戒」させていただいている。
 主に感謝。




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