たとい、わたしたちは不真実であっても、彼(キリスト)は
常に真実である。
彼は自分を偽ることができないのである。
(テモテへの第二の手紙 第2章13節 )
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われらの主はいつでもどこでもいかなる時でも常に「真実」である。
ああ、「真実」とは何だろう? 真実、真実、真実。
わたしたち人間がそして生命体ならどのような生命体でも切に求めてやまないものではないか?
この自分自身が「真実」とはほど遠い者だからである。
だからわたしたちは「神に真実を求める」。
だからわたしたちは「神に愛を求める」。
だからわたしたちは「神に生命を求める」。
「真実」とは神の真実であり、神の愛であり、神の生命である。
神ご自身絶対にわたしたちを捕らえて離さない、死よりも強い「愛」である。死よりも強い「いのち」である。
この主よりの愛といのちを求めない者がいるだろうか?
フツーのクリスチャンのわたしに言わせていただくと「生命体の証明」である。
主イエス・キリストの愛と正義と自由こそ「真実」である。この御方に祈ることでフツーのクリスチャンのわたしはやっと「真実」を主よりいただくことができる。
主よ感謝いたします。主イエス・キリストの御名は永遠から永遠まで何者にもまさってほむべきかな、アーメン。
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