ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

正しい人。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2021年05月05日 00時00分50秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    わたしは、むかし年若かった時も
    年老いた今も、
    正しい人が捨てられ、
    あるいはその子孫が
    食物を請い歩くのを見たことがない。
    正しい人は常に寛大で、
    物を貸し与え、
    その子孫は祝福を得る。
    悪をさけて、善を行え。
    そうすれば、あなたはとこしえに住むことができる。
     (詩篇第37編第25から27節)

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 上記の詩篇の「正しい人」とはわたしたち主イエス・キリストに従う者、この御方の十字架上の死と復活のいのちに生かされている人(いのちある者すべて)を指す。
 ここにもマルクスがその哲学体系に引用した箇所が散見される。
 「正しい人」は「食物を請いあるく」状態をゆるすというか、見ても何も感じない心のない者どもを絶対に許してはおかない。これこそマルクスが一番言いたかった主イエス・キリストの愛と正義と自由の精神である。
 基本的人権の尊重を同じ人間同士(同じ主イエス・キリストに生かされているいのちとして)互いに大切に思う「心」である。主の主王の王主イエス・キリストの御心である。その心がいま危機に瀕している。この地球に住むひとりひとりの「お祈り」が失われようとしている。
 なぜホームレスの人を見て何も感じないのだろうか?わたしは「自分の家」があることに良心の痛みを覚える。この平等の精神に生きようとしない自分のうちにも反キリストがいることに良心の痛みを感じるのだ。
 紛争状態の国を「ただの見世物」としか感じないという心がわたしの内にもあることに痛みを感じる。
 「貧しい人」と聞いてそんなのって死語じゃないのか?などという心なき風潮が全地球的に蔓延したとしたら空恐ろしい。
 主よ、この地球に住むひとりひとりの人間にお祈りを与えて下さい。
 人間はただ、主よ、あなたに祈り求めてこそはじめて真の人間と言えるのですから。
 
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