むしろ、対話による相互の学びによって正しく、
深い祈りの道を神の恵みによって見出してゆきたい。
(『奥村一郎選集 第8巻 <神に向かう祈り>』オリエンス宗教研究所)
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奥村一郎神父は、この本の中で<祈り>というものをさまざまな角度から論じておられる。
フツーのクリスチャンのわたしでも読んで理解できるかたちなので、日々の日常生活の中でとても参考にさせていただいている。
上記に引用させていただいた一文は、この本の中の「東西の祈り」という項からだ。
わたしは浅学非才なフツーのクリスチャンなのだが、東の代表的な他宗教は「仏教」だけではないと思っている。それこそ星の数ほど他宗教が存在する。
わたしはこの事実も主イエス・キリストのみこころ、ご意思だと思っている。なにしろ「わたしの信仰では、主イエス・キリストがこの全地球と全宇宙を創造したのだから」。
わたしの信仰ではそれこそ全宇宙は主イエス・キリストの両腕の中である。
しかし、ここのところはわたしもよくよく注意しているのだが、西の代表的宗教は「キリスト教」だけではない。やはり東と同じように星の数ほどの他宗教が存在する。ここに上記に引用させていただいた奥村神父の言わんとすることが浮かび上がってくる。
主イエス・キリストが弟子たちに命令した、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」というみ言葉は、キリスト者だけのみ言葉ではない。これだけさまざまな「宗教」が存在しているのだ。「愛し合う」(理解し理解される)ことなくしては違った宗教同士が仲良くできるものではない。
わたしはフツーのクリスチャンとして主イエス・キリストにお祈りする姿勢をいつも忘れず、それぞれ違う者同士愛し合える愛を主イエス・キリストにくださいと、祈り求めながら生きてゆきたいと願っている。真の「信教の自由」を認めることのできるフツーのクリスチャンでありたいと切に思う。
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↓:自由。
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