しかしその時には、わたしが完全に知られているように、
完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは愛である。
(コリント人への第一の手紙第13章12から13節 )
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創世記を読むと主なる神が何かを創造なさるたびに創造なさったものを見て「神は見て良しとされた」と表現されている。
主はここを「神は愛してくださったんだよ」とわたしに教えてくださる。
しかし主ご自身のことはニケヤ信条などで「父より生まれたるひとりの御子」と表現されているが、主イエス・キリストは今では多くの人々が信じているように天の父の被造物では決してないと言うのが正統的キリスト教信仰である。
どうしても主イエス・キリストを天の父の被造物としか思えないという人はそのように信じるのは自由である。しかしわたしたち正統的キリスト教信仰では主イエス・キリストと天の父は全く一つである。だから主イエス・キリストのことを「全き神全き人」というアタナシオ信条の表現のしかたを全面的に支持するものである。
主はおっしゃる。「わたしと父とは一つである(ヨハネ10・30)」。
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