わたしは福音を恥としない。
(ローマ人への手紙 第1章 16節から17節 )
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この聖句の言わんとすることは、「わたしはイエスは主なりとすることを恥としない」ということである。
あなたは自分がクリスチャンであるということで何か不都合なことがあったり、不利益なことがあったり
したことはないだろうか?
ズバリ言わせていただくと「わたしはイエスは主なりとすることを恥としない」という確信を持っている方は
多かれ少なかれ、あるいは事の大小を問わず、何かの不都合なこと、不利益なことがおありのことと思う。
これは古今東西どこにおいてもどのようなときでも現実にあることである。
このことをパウロは熟知していたからこその上記引用の聖句が与えられたのである。
このことはこの地球上でたとえキリスト教国とされている国においても起こりうる。
しかし、いろいろな不都合、いろいろな不利益をこうむってもわたしたちはとこしえに「わたしはイエスは主なり
とすることを恥としない」ことを祈り求める。
主イエス・キリスト御名によって。
アーメン。
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