さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、
大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになる」。
(ヨハネによる福音書第7章37節から38節 )
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主がここで一番言いたいのは、「あなたがたは渇いている自覚がありますか? 」ということだ。
さてこの拙文を読んでくださるあなたはあなたは何に渇いているだろうか?
「正義」か? 「平和な国」か? 「衣食住」か?
フツーのクリスチャンのわたしは「主イエス・キリストの愛と正義と自由」である。
「主イエス・キリストの愛と正義と自由」に土の器である全宇宙が満たされることを祈り求めてやまない。
この「地球」ひとつをとって考えてみてもわたしたちはあまりにも主イエス・キリストの愛と正義と自由が無いことに心が痛まないだろうか?わたしはこの御方にただただ祈り求めるのみである。デモに参加したり、集会に参加したり、何か勉強したりするのもよいと思う。しかし問題は「心」である。
どのような「心」をもってデモに参加し、どのような「心」をもって集会に参加し、どのような「心」をもって勉強したらいい良いのだろうか?
だからクリスチャンのわたしは主の主王の王主イエス・キリストに祈り求める。この御方の愛と正義と自由で全宇宙が満たされますようにと。この御方の「御心」を。
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