そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
(マタイによる福音書第5章16節)
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しみじみと心に響く主イエス・キリストのみことばである。
そしてわたしがフツーのクリスチャンとして、主イエス・キリストの御前では無に等しい存在だとつくづく自覚させていただけるみことばである。
第一に、フツーのクリスチャンであるにもかかわらずこの自分は(いわゆるクリスチャンらしいとされる)「よい行い」など何一つできていない。そしてこのようなわたしを見て、人々が「ああ彼女は立派なクリスチャンだ。彼女の信じている主イエス・キリストってすごい神さまだな」などと思ってくれるはずがないことを、わたしは毎日生活の中で自覚させられている。
その最も大きな理由はわたしの出自についてである。
「あんな家系の人がクリスチャン? 」などと言って、主イエス・キリストの教会の人に何度名指しで告げ口をされたことか。わたしだけではない。それこそわたしと関係のあった人はすべてヘンチクリンに見られて扱われた。それだけではない。わたしの飼っている犬猫までヘンチクリンな目で見られてしまう。とてもじゃないけど「人々があなたがたのよい行いを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」どころの話ではないのだ。
しかしわたしにとてフツーのクリスチャンである。
光である主イエス・キリストをひたすら呼んでいる。
ここにわたしがフツーのクリスチャンであることの「主イエス・キリストよりのしるし」がある。
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↓:主よ、わたしの罪を許し給え。
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