ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(稲垣良典):精神的にも肉体的にも危険な宗教。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2023年05月01日 00時00分13秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   言い換えると、人間本性を原動力とする
   知的探求は、人間知性が知りたいという本性的欲求
   を完全に満たしてくれるような対象と出会うところまで
   押し進められなければならないのであって、そのような対象
   が「万人の神と呼ぶ」存在にほかならないというのが
   トマスの考えである。

    (トマス・アクィナス『神学大全』稲垣良典著 講談社選書メチエ )

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 ごく簡単に上記引用文の最も大切なところをズバリ言ってしまうと人間は生まれながらにして「神を知りたいと欲求する動物」であるということだ。
 わたしはある人が「宗教って知的なものじゃないと思う」と言っているのを聞いたことがある。
 わたしは「エッ? 何で? 」と不思議に思った。
 わたしに言わせれば、そしてフツーのクリスチャンの立場では主の主王の王主イエス・キリストを知ることは「知性」「知的な探究」じゃないかと思う。
 およそ「宗教から知的探求を取り除いてしまうことほど危険なこと(人間にとって)はない」。
 そのような「宗教? 」は「宗教ではない」し主の主王の王主イエス・キリストを信仰の対象とするフツーのキリスト教でもない。それは何か人間の精神にとってとても危険なオカルト的なものであるにすぎないし、単なるいわゆる「神がかり」に過ぎないし、それこそ何かにいつもオートマチックにあやつられている悪魔教というか、呪術のたぐいでしかないと思う。フツーのクリスチャンのわたしも日ごろいつも主によって「ほら、気をつけなさい」と指摘されている。


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