教会というのは、他の人びとと比べて、いささかましな人間、
いささか出来栄えの良い神さまの作品が集まって、自己満足に
浸るような世界ではありません。
そうではなくて、むしろ、どう考えたって自分の良さを発見する
ことができない、自分を良い作品とは認めがたいような、まさに
そのような人間が集まって、いや違う、私たちは祝福されている、
私は神の良い作品であるということを喜んで受け入れると言うのです。
そしてお互いに「良かったね」と喜びあうのが、教会であります。
(「使徒信条」加藤常昭著 ヨルダン社 )
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上記引用文にあるように、教会に導かれたわたしたちはまず第一に「神の作品」(主なる神が創造なさったもの)であるという信仰をもっていることが条件である。そして言わずもがなを言わせていただくと、この自分自身がどのような精神的肉体的条件をもっていても、主によってここに呼んでいただいたのだという確信をもち、互いに集まった者同士愛し尊敬し信頼しあうことである。
愛し尊敬し信頼しあうとこの小さな自分自身がどれほど神に祝福され喜ばれているかを知ることができるものである。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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