自分の共同体は、こちらの腰に長いロープを縛りつけて
しっかり握っているのだと考えることだ。
私たちはどこにいようと、このロープにつながっている
のである。
(「心の奥の愛の声」ヘンリ・J・M・ナウエン著
小野寺健訳 女子パウロ会 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
上記引用文の「自分の共同体」とはフツーのクリスチャンにとっては「自分の家族」だ。
そして「自分の家族」の頭には主が存在していてくださるのである。つまり平たく言ってしまえば、私の家には主が住んでくださり、いつもわたしの家族を守ってくださっているということだ。👪。家族とは全被造物世界である。
特別なことは何もいらない。
自分と自分の家族を守ってくださっている主イエス・キリストのご臨在を「自覚」させていただけるよう祈り求めることだ。
わたしの「家の頭なる主イエス・キリスト」は上記の引用文のナウエン神父のように、たとえわたしが迷ってどこへ行ってしまおうとわたしの腰にしばりつけられたロープを決して離さず、すぐにこの「命綱」を引っ張って助けてくださる。わたしは実体験として、数えきれないほど何度もロープを引っ張ってもらってわたしのいのちを助けていただいた。
帰るべきはのはいつも「わたしの家」「わたしの家族が住む家」である。この家の頭なる主の主王の王主イエス・キリストが常に家族全員お守りくださっていることに感謝している。🐈猫もあらゆる生命体も。
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しっかり握っているのだと考えることだ。
私たちはどこにいようと、このロープにつながっている
のである。
(「心の奥の愛の声」ヘンリ・J・M・ナウエン著
小野寺健訳 女子パウロ会 )
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上記引用文の「自分の共同体」とはフツーのクリスチャンにとっては「自分の家族」だ。
そして「自分の家族」の頭には主が存在していてくださるのである。つまり平たく言ってしまえば、私の家には主が住んでくださり、いつもわたしの家族を守ってくださっているということだ。👪。家族とは全被造物世界である。
特別なことは何もいらない。
自分と自分の家族を守ってくださっている主イエス・キリストのご臨在を「自覚」させていただけるよう祈り求めることだ。
わたしの「家の頭なる主イエス・キリスト」は上記の引用文のナウエン神父のように、たとえわたしが迷ってどこへ行ってしまおうとわたしの腰にしばりつけられたロープを決して離さず、すぐにこの「命綱」を引っ張って助けてくださる。わたしは実体験として、数えきれないほど何度もロープを引っ張ってもらってわたしのいのちを助けていただいた。
帰るべきはのはいつも「わたしの家」「わたしの家族が住む家」である。この家の頭なる主の主王の王主イエス・キリストが常に家族全員お守りくださっていることに感謝している。🐈猫もあらゆる生命体も。
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