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主は
誰にも踏まれない
どのように美しく踏み絵に主の御姿が
描かれてあっても
しょせん単なる絵にすぎない
主は
誰にも踏まれない
主を
踏むことなんてできない
主を
傷つけることなんてできない
そして
主を
殺すことなんてできない
全宇宙
どこの . . . 本文を読む
主よ。私は国々の民の中にあって、
あなたに感謝し、国民の中にあってあなたに
ほめ歌を歌いましょう。
あなたの恵みは大きく、天にまで及び、
あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
(詩編 第57編 9・10節 )
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上記引用聖句は一読して主なる神の無限大さが
わからせていただ . . . 本文を読む
私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
(詩編 第34編 1節 )
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主が創造なさった全宇宙の片隅に主によって存在させていただいて
いるから、私はあらゆる時に主をほめたたえるし、わたしの口には
いつも、主への賛美がある。
主が創造なさったすべてのものの . . . 本文を読む
主のはかりごとはとこしえに立ち、
御心の計画は代々に至る。
(詩編 第33編 11節 )
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全宇宙のすべての人間を含む生命体の一挙手一投足は主のはかりごと
であり、御心の計画である。かといってそれをことさらいつも意識して
いる必要はない。主におまかせし、ゆだねていればよいのである。
でもこの魂 . . . 本文を読む
「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。
そうすれば、あなたのからだが元どおりになって
きよくなります」。
(列王記Ⅱ 第5章 10節 )
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上記引用聖句でエリシャがナアマンに言ったことは、
バプテスマの遠い予兆ではないだろうか。
しかしナアマンはエリシャがあまりにも簡単 . . . 本文を読む
私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。
彼らは私にわざわいを投げかけ、
激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
(詩編 第55編 2・3節 )
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家中が上記引用聖句の状態である。
かかさず折に触れて助けてくださいとお祈りしている。 . . . 本文を読む
イスラエルとユダの人々は、ダビデを愛した。
彼が彼らの先に立って行動していたからである。
(サムエル記Ⅰ 第18章 16節 )
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ダビデが上記引用聖句のような行動がとれたのは、いつも常に
主なる神の御声を聞き、そのとおりに行動していたからである。
だからみんなダビデを愛していたのである。
. . . 本文を読む
愚か者は心の中で「神はいない」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしい不正を行っている。
(詩編 第53篇 1節 )
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上記引用聖句で言っている「愚か者」とは単なる無神論者、
神否定論者のことではない。
自分の中に神がいない、自分が神を求めない、自分が神を
認めようとしないということで、そ . . . 本文を読む
「祝福あれ。
主の御名によって来られる王に。
天には平和。
栄光はいと高き所に。」
(ルカによる福音書 第19章 38節 )
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この王はろばの子に乗っているのである。
この頃は馬は即軍馬を表し戦争の道具とされていた。
主はエルサレム入城の時、ろばの子を使った。
戦争とは関係な . . . 本文を読む
自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、
『わたしたちは役に立たないしもべです。
なすべきことをしただけです』と言いなさい。
(ルカによる福音書 第17章 10節 )
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少女ジーザスもこのブログ記事とお祈りは、
なすべきことをしたにすぎませんと言うことにしている。
高慢の上の慢 . . . 本文を読む