わたしたちは、唯一の神、全能の父・天地とすべてのものと
見えないものの造り主を信じます。また、世々の先に父から
生まれたひとり子・主イエスキリストを信じます。
主はまことの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られず、生まれ、父と一体です。すべてのものは主によって
造られました。主は私たち人類のため、またわたしたちを救う
ために天か . . . 本文を読む
万年のコタツで
書を読み
文を書き
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あなたの家ではコタツはもうとっくの昔にしまったにちがいない。真夏なんだから当然。
ところが、わが家ではコタツが1年中出ている。
そしてわたしはこのコタツの上で食事をしたり、コーヒーを飲んだり、読書をしたり、このような文章を書いたりしているので . . . 本文を読む
あなたは家畜のために草をはえさせ、
また人のためにその栽培する植物を与えて、
地から食物を出させられる。
「詩篇 第104篇 14節」
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主イエス・キリストが創造した「地球の生態系」のありがたさが、しみじみと伝わってくる詩篇の言葉だ。
何と言うみごとな「いのちのシステ . . . 本文を読む
何故に神が住居(すまい)にと望まれた
山をねたみ見るのか。
まことに主はとこしえにそこに住まわれる。
「詩篇:第68編 16節」
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わたしたちフツーのクリスチャンはすべての被造物(主イエス・キリストが創造した全宇宙のすべてのもの)は、主イエス・キリストのいのちとして見る。
つまりあな . . . 本文を読む
神はひとたび言われた、
わたしはふたたびこれを聞いた、
力は神に属することを。
「詩篇:第62編 11節」
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フツーのクリスチャンのわたしは旧約聖書のなかの「詩篇」が大好きだ。
信仰者とはこのような者だということがとてもよくわかる。
「詩篇」の作者たちは何も雲の上の人ではない。 . . . 本文を読む
主なる神は言われた。
「人がひとりでいるのは良くない」
「創世記 第2章 18節」
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あなたは一人でいる時どのような気持ちになるだろうか?
同じ旧約聖書の創世記(天と地の始まりの物語)に、主イエス・キリストがみ言葉によって天と地とを創造し終わったとき、さらに「人間」を創造することを考え付いた、とある。 . . . 本文を読む
(イエスは)、何が人間の心の中にあるかを
よく知っておられたのである。
「ヨハネによる福音書 第2章 25節」
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わたしの信じる主イエス・キリストは上記の聖書の言葉のように、わたしたちの心の中にあるものをよく知っていてくれる。
だからわたしはとても自由だ。
ありのままの自分で存在することができる . . . 本文を読む
私には あなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
(『高村光太郎詩集』:「人類の泉」)
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これはわたしの信じる主イエス・キリストの言葉のようだ。
主イエス・キリストは、すべての人間に上記のような言葉を伝えるために地上に来てくれたと言っても過言ではない。
. . . 本文を読む
神を見た者はまだひとりもいない。
ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、
神をあらわしたのである。
「ヨハネによる福音書 第1章 18節」
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わたしはこのような碌でもない自分のうちに神を見る。
主イエス・キリストの霊を頂いた者、主イエス・キリストの弟子にして頂いたというハッキリとした自覚を . . . 本文を読む
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
「ヨハネによる福音書 第1章 1節」
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わたしはフツーのクリスチャンだが、今世界中で大流行している「スピリチュアリズム」という宗教思想(と思われるもの)が知りたくて、何冊かの関係書をよんでみた。
そして結局、わたしたちフツ . . . 本文を読む