わたしは羊の門である。
わたしよりも前に来た人は、
みな盗人であり、強盗である。
羊は彼らに聞き従わなかった。
わたしは門である。
わたしを通って入るものは救われ、
また出入りし、牧草にありつくであろう。
「ヨハネによる福音書 第10章 7節」
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みなさんは「不 . . . 本文を読む
「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、
あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
また真理を知るであろう。そして真理は、
あなたがたに自由を得させるであろう」。
「ヨハネによる福音書 第8章 31節」
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わたしは「人間」として何より「自由」を欲する。
特に「学問 . . . 本文を読む
男性の幸福は「われは欲する」である。
女性の幸福は「かれが欲する」である。
『ツァラツストラはこう言った』
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上記のニーチェの言葉を読んでみなさんはどう思うだろうか?
女性のみなさんは「怒る」だろうか?
どうして男性だけが「われ」なのだろうか?
どうして男性だけ「自分」なのだろうか?
どうし . . . 本文を読む
愛というものと、一夫一婦という堅い形式との間には、
明らかに幸福な偶然によってのみ解決するような
矛盾がある。
(ジンメル『愛の断層・日々の断層』)
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「一夫一婦という堅い形式」と男女が愛し合うことは矛盾があって当然である。
ひとりの男性とひとりの女性が出会い愛し合うこと自体が昨 . . . 本文を読む
結婚?
私はそれをそれ自体で考えたことはなかった。
永遠に愛せる女(ひと)を見つけたいと
夢見たことはあったが、
結婚のための結婚は考えたことがなかったのだ。
(『アリランの歌』)
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上記の言葉のように、昨今は「結婚のための結婚」が大流行しているとわたしは思うのだ。それを悲し . . . 本文を読む
最も多く愛する者は、常に敗者であり、
常に悩まねばならない。
(トーマス・マン 『トーノニオ・クレーゲル』)
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この言葉でわたしはハッと目が覚めた。
これはまさしくわたしが信仰する主イエス・キリストの言葉だ。『愛』は勝者とは限らないのだ。主イエス・キリストは『愛』とはどういうものかを説きに地上に生 . . . 本文を読む
いまでも愛とは
すべてのものが
子羊のように
寄り添うことではないのかと思っている
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「愛」についての、何という単純な言葉だろう。
動物はみな眠る時は寄り添う。「愛」とはまず寄り添うことだ。
わたしはごくフツーのクリスチャンだが、「愛」を説くために地上に来られた主イエス・キリストが行った、 . . . 本文を読む
「あなたは、このことをするからには、どんなしるしを
わたしたちに見せるつもりか」と言った。
イエスは答えて言われた。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」
「ヨハネによる福音書 第2章 19節」
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わたしが主イエス・キリストの弟子として、主イエス・キリストの御名 . . . 本文を読む
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと
座って両替をしている者たちをご覧になった。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し
両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに
言われた。
「このようものはここから運び出せ。
わたしの父の家を商売の家としてはならない」
「ヨハネによる福音書 第 . . . 本文を読む
ところが、他の種は、良い土地に落ち、
実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、
あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞きなさい。
「マタイによる福音書 第13章 8節」
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有名な主イエス・キリストの「種を蒔く人」のたとえ話である。
ここでは、いろいろな運命 . . . 本文を読む