わたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、
その心にしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる
と主は言われる。
(エレミヤ書 第31章 33節 )
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これはフツーのクリスチャンのわたしに言わせれば、主イエス・キリストの受肉を表現した聖句だ。
つまり主の律法がわれらのうちに置かれた、そしてわ . . . 本文を読む
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主は
あらゆる種を
創造なさる
そして種蒔きにお出かけになる
全宇宙のいたるところで
主がお蒔きになった種が
主の生命の樹として
成長している
主イエス・キリストの御名によって
アーメン
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「キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に
入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、
聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、
説きあかされた。
(ルカによる福音書第24章 27節 )
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上記引用の聖句は聖書は必ず読む人が主を求め . . . 本文を読む
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われらの主が
おかかりになった
呪われた木
十字架
しかし主は
十字架の死より復活なさった
わたしたち全宇宙のすべての生命体に
復活のいのちを与えるために
こうして呪われた木は
いのちの樹として
復活した
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あなたがたが救われたのは、実に
恵みにより、信仰によるのである。
それはあなたがた自身から出たものではなく、
神の賜物である。
決して行ないによるのではない。
(エペソ人への手紙第2章8から9節 )
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主はどのように小さく弱い「信仰」でも決して軽んじ給わない御方である。
「主よ!! 」という . . . 本文を読む
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この世に
一粒の悲しみがあるかぎり
この世に
一粒の痛みがあるかぎり
主イエス・キリストは
十字架におかかりになったままで
わたしたちと共にいてくださる
あの御姿のままで
わたしたちと共にいてくださる
ああ 主よ
とこしえに
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たとい、わたしたちは不真実であっても、彼(キリスト)は
常に真実である。
彼は自分を偽ることができないのである。
(テモテへの第二の手紙 第2章13節 )
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われらの主はいつでもどこでもいかなる時でも常に「真実」である。
ああ、「真実」とは何だろう? 真実、真実、真実。
わたしたち人間がそして . . . 本文を読む
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主よ
あなたの
無限大分の一の
かなしみが
わかります
主よ
あなたの
無限大分の一の
よろこびが
わかります
主よ
あなたの
無限大分の一の
愛が
わかります
主イエス・キリストの御名によって
. . . 本文を読む
万軍の主は仰せられる、
わたしに帰れ、
そうすれば、わたしもあなたがたに帰ろうと、
万軍の主は仰せられる。
(ゼカリヤ書 第1章 3節 )
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万軍の主とはいったいどのような御方なのだろう?
その万軍の主なる御方が「わたしに帰れ」と仰せられるというのである。
まるで自分のもとを去って行った妻を . . . 本文を読む
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主よ
あなたは
五つのパンと
二匹の魚とで
五千人を養っておられます
そして
パンくずを集めると
まだ十二のかごに余る
全宇宙のすべての生命体にくばっても
まだ十二のかごもある
主よ
あなたの御手は無限大
全宇宙を超えて余りある無限大
全宇宙より . . . 本文を読む