じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

「さかあがり」

2005年08月14日 | 
前回に続いて情けない話。
5歳の孫のrikuは来年から小学校である。
娘から「rikuに逆上がりを教えて欲しい」と頼まれて「それならまかしときな」とばかり余り気の進まぬ孫を連れて小学校の校庭に出かける。こう見えても昔鉄棒はまあまあ得意だった。

私の子供の頃、田舎の小学校では球技などはまだ盛んではなく、走ることや鉄棒くらいなものだった。校庭には鉄棒くらいしか無かったので、休み時間は皆鉄棒に群がっていた。だから逆上がりなどは親に教えてもらわなくても、大抵の子はお茶の子さいさいであった。
中学になるとぶら下がり状態から「逆上がり」も「け上がり」もできていた。大車輪が出来る同級生がヒーローだったりした。
今の今まで逆上がりなんてものは朝飯前、軽く出来ると考えていたのである。

それがなんと出来ない。結構大きなショックだった。
腰の重さというか、腕の弱さというか、胸の高さの鉄棒に勢いよく足を振り上げるもののブザマに「どてっ」と落ちてしまう。お手本どころではない。
「ジイジもできないの?」という孫に、「今日はちょっと調子が悪い」などと言い訳をする。
しかしやり方のコツはまだ覚えているはず、と思い直して孫に教えるのであった。

人は仕事でも体力でも、得意技の最盛期をいつまでも自分の実力と思っていたりする。
例えばゴルフで、ベストスコアを自分の実力と思いつづけたり、現役時代の肩書きを引きづっていたりする。何もかも思いのほか衰えていることを実感して納得すべし、である。050813-1



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