かみさんというのは止めて、これからは妻と呼ぶことにしよう。
クリーンルームへ4日間付き添った。もちろん夜は近くのホテルで。
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妻はよく闘っている。「私は決して負けないわ、負けてたまりますか」
1回目の寛解導入治療で頭髪がほぼ抜けてしまった。それでも寛解に至ることが出来ず、白血球が回復しないまま、2回目の寛解導入治療を受けた。
この間一週間はさすがに厳しく、病院食を一切受け付けず、その後肺炎を引き起こし発熱を繰り返した。私は食べられるもの、欲しいものを求めて売店を探し、市内のデパートやスーパーを何度も往復した。味覚が普段と変わるのか、「じゃこ天」や「から揚げ」が食べたいと思えば次は蜜豆やアイスクリーム、長崎屋のカステラが、といったように嗜好がころころと変わる。すべてラップして熱を通してから(アイスは別)口にしなければならない。それでもそれらを美味しそうに食べるのでホッとする。そして熱が少し下がり食べ物を口にすることが出来ると、生来の明るさ取戻し、逆に私のことをねぎらい心配した。
「お父さんのほうこそ大丈夫?ごめんね我がままばかり言って・・」
「電話やメールもすることが出来るし、気分がいい時は友達にはがきも書ける、お父さんとこうして話も出来ることに感謝しなくちゃ」
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IVHを左右刺し替えたり、定期的なマルク(骨髄穿刺)、ほぼ毎日の採血、点滴は一度に5本ぶら下がっていたりして、見ていてもたまったものではない。
現在、白血球はほぼ0、赤血球と血小板も減少し続ける。血色素(Hb)が限界まで下がると血色は落ち顔色は白く、息苦しくなる。血小板が減ってくると手の甲がどす黒くなってうっ血してくる。2,3日ごとに輸血をすると、まるで生き返るように元気になり血色も戻る。限界で生命を維持しているようにさえ思われる。
肺炎を抑えるために抗生剤の点滴をし続けているが、耐性化が懸念されるという。
健康人は気にも留めないが、血液のとりわけ白血球の大事な役割を痛感させられる。
治るものならどんなことも我慢できると妻が言うと、医師からこれが一番きつい治療だといわれた。
今度こそ、寛解に到達してくれることを願うばかり・・・・・。
そして必ずクリーンルームから外界へ出してやりたいのだ。