やっぱり家がいい、気が休まる。
エアコンを効かせた部屋でぼけーっとテレビを見ているのが一番リラックスできる。
テレビを見ていると、いらぬ思考から逃れられるからだ。
心配しなくていい、洗濯と食事はちゃんとやっている。
洗濯物はあきれるほど良く乾く。
ヨシケイの夕食も結構楽しみで、一向に苦ではない。
早めに夕食、今日はネギトロ風だった。
やがて午後7時ころ、日が沈んでからやおらお外に出て庭の水遣り。
熱気ムンムン乾々の庭はいくら水を撒いても吸い込んでしまう。
涼しくなってから、待ちかねているラヴと一緒に河川敷を一回りしてくる。
水浴びなどして、たっぷりと遊んでやることも良い息抜き。
汗びっしょりで帰るなり直ちにシャワー
猛暑続き、真昼には一歩も外出しないことにしている。
とにかく暑い! 今は自分の体をいたわることが何より先決である。
岡山での二日目の夜のこと。
その日は妻の体調が絶不調で、傍にいても心労が重なった。
病院に居た頃から心臓の動悸があって、ホテルに帰りついても一向に治まらない。
これはどうも発作性心房細動(AF)かもしれない、急に不安になり確信になった。
そうだ、ここは<msnctyst w:st="on" addresslist="33:岡山県岡山市;" address="岡山市"> 岡山市
これ幸いと、夜10時に電話連絡すると、どうぞ直ぐに来てくださいとのこと。タクシー10分で駆けつけた。
心電図を見て当直医師は「やはり心房細動ですね・・」 あちゃー
サンリズムの点滴で不整脈はぴたりと治まった。さすが専門病院。ふーっと安堵した。
やはり疲れとストレスが原因とみえる。薬の服用を増やすよう処方された。
発作性AF・・・これ一度起こると癖になる可能性があること、身をもって知っている。
それにしてもここのところのストレスは如何ともし難い。
よほど気をつけて夏場を乗り切らねば!
3日居て一旦帰宅した。
帰りの電車の車窓からの景色。土器川と遠くは丸亀城
昨日と打って変わって今日は絶不調で、朝吐き気止めの点滴をしたと言うのに、午前中からむかつきと吐き気に襲われ通しであった。
昨日無理して外出したのが堪えたようだ。背中を擦りながら、「やっぱり昨日は出かけないほうが良かったね」と言うと「昨日は楽しかったよ」と少し笑みを浮かべて言った。
・・・
主治医は、吐き気がこんなに酷いのはがん細胞が脳や脊髄に廻っているせいかも知れないと、髄液検査(ルンバール)をするという。
私は後日にしてもらえばと言ったのだが、本人は嫌なことはまとめてやっておいて・・と骨髄穿刺(マルク)も同時にやった。なんというガッツ・・
その二本立て?の一部始終を傍で見ていたが、目を背けたくなるほど痛そう、鳥肌が立った。
骨髄液(血液と見分けがつかない)は検査部門から来た人の手で、その場で即10枚ほどのプレパラートに作成されていた。
・・・
こんなきつい検査なのだから、少しでも良い結果が出て欲しい・・・
良くなる保障があれば痛さも吐き気も辛抱できるというものである。
なんとか希望を繋ぎたいのだ。
その後吐き気止めの点滴のせいで眠れたようなので一旦ホテルに帰ってきた。
さくらさんに教えていただいた書籍、病院内の書店で見つけて手に入れました。有難うございます。
今日はいつになく気分が良いと言うので、予定していたマルクを明日に延期してもらって外出した。
妻の希望もあり、このところ主治医も看護士さんも外出を勧めてくれている。
病院を出たのは入院以来、実に3ヶ月ぶりである。
事前に吐き気止めの点滴をしてもらった。
マスクをして車椅子での移動、暑さの中タクシーへ乗り込むまでの数mが堪えた。
窓際の隅の席を予約をして、駅の近くのホテルの19階にあるフランス料理店に行く。
久し振りに見る街の人波、新幹線の往来や夕景に、妻の目も生気に輝いているように見えた。
このところ殆んど口からの食事が出来ていなかったのだから、気分転換と雰囲気だけ味わうつもりだったが、「ああ美味しい、後で吐いてもいいわ・・・」といって少しずつながら食べていた。
帰りのタクシーに乗ると、「疲れたわ」と私の膝枕で横になっていた。
妻は養女として育った。
養父母を介護して看取った後、墓も立て位牌も守り供養してきた。
・・・
今後のことが気がかりで、どこか永代供養先を探して欲しいと頼まれていた。
人づてに市内のある寺が募集していることを聞く。
宗派は問わない、数十万円から百数十万円まで・・・ホテルのようにカードキーで自由に出入りでき、エレベーター、エアコン完備の立派な部屋におびただしい数の仏壇が整然と並んでいた。今の世の中、需要が多いのであろう。商魂が垣間見える。
今ならばどの格式でも空きが在ります、とのことで供養を引き受けてもらうことが出来た。ちょうど8月には総供養祭がある、いい時期でしたよ、とのことであった。
妻は安心した。私自身も先行き不安なので、なにはともあれホッとしたことである。
・・・・
その際に蕾であった蓮の花が見頃ですよ、と連絡してくれた。
朝の涼しいうちにと、珍しく早朝に訪れた。蓮の花は寺に合う。
妻から電話があった。
今度ご主人が来られた時にお家へ帰ってもいいですよ、
ご希望なら外泊されてもいいです。と主治医に告げられたそうである。
まさか、耳を疑った、だっていまだ白血球は200台、しかも好中球は0なのである。
他のがんなら自宅療法も考えられるしその希望もあるけれど、
この場合は到底考えられない。
外気に触れればたちまち感染症に罹ってしまうのではあるまいか・・、
患者も家族も真っ先にそう思ってしまう。
とてもではないがそんなリスクを冒すことは考えられない。
それから、近いうちに一般病棟に変わっていただく予定です・・・・とも。
この病棟は移植患者優先だということらしい。
寛解にならなければ移植も出来ないということか。
これも気がかりなこと。
とにかく、週明けに主治医に会い直接よく話しを聞いてみなければ・・・
相変わらず血液検査結果は最悪で、食欲もなく吐き気が続いている。
妻の気持ちもさすがに萎えがちで、弱気になることも。
それでも体調が落ち着いている時、本当に穏やかな面持ちである。(7/14)
デスクトップから話しかけてくる。
妻の病状、一時光明が見えたが、その後骨髄抑制と吐き気の副作用で、苦しんでいる。
白血球は200台まで落ち、Hbも血小板もいよいよ低下し、微熱が続くようになった。
食欲もなくなり、何か食べたいものがあれば買ってくるといっても、何も欲しくないし食べられないと言う。この一週間何も口にできていない。点滴のみである。
肩が凝るというので揉んでやった。足を擦ってやった。毎日のテニスで鍛えていた腕もふくらはぎも、筋肉が落ちてぽよぽよになっていて、涙が出た。
それでも気丈さは変わらない。「あなたが泣いてどうするのよ、大丈夫だからしっかりしてよ・・・」
と叱咤激励される始末である。厳しい・・・
・・・
午後8時、病院を後にする。振り返るとかすんだ月が出ていた。
前立腺がんなら3ヶ月に一度、せいぜい1ヶ月に一度のPSA検査で様子を見ていれば治療の目安になり手遅れということもない。が、白血病は違う。
進行も治療効果も、実に一日単位で変わる。
かみさんも入院以来、2日に一度採血し血液検査を続けてきた。
今までの2ヶ月余り、白血球数は300~400前後でしかも好中球は0が続いてきた。赤血球も血小板も限界値まで下がる度に輸血でしのいできた。当然のこととして感染症も何度か起こして発熱や口内炎にも苦しめられてきた。潰されそうな日々が続く。
ところが最後に残された治療とも言うべき2回目のマイロターグ投与の後、好中球(St,St)が現れ増加してきた。同時に末梢血中の芽球も減少している。
微かにとはいえ、改善への兆しが見えたのは初めての光明といえる。
しかし骨髄抑制の副作用のため、まだ白血球は500付近で芽球も数%あるから寛解には程遠い。ぬか喜びに終わると悲しいので、まだ喜ぶのはもう少し先にしておこう。
相変わらず、赤ん坊のごとくうとうととまどろんでいる時間が多い。
「夢を見ていたわ、家に帰って二階のテラスに出ると、桜が満開だった・・・」
そういえば入院する前、桜の季節だったね。
・・・
今は、ほらこんな季節なんだよ。煙突山が見えるかな・・・