かみさんは自他共に認める行動派であった。 休日などは一時として休まず朝から寝るまで動き回っていた。テニス、バトミントン、ジョギング、そして天気の良い日はテラス一杯に虫干し?の衣服や洗濯物やシーツなどがところ狭しといつもはためいていた。家事も徹底的にやり、いつの間にか1人で重い食器棚やテーブルを移動してはがらりと室内の雰囲気を変えてしまっていた。そばから見ていて恐るべしとさえ思われるほどであった。
彼女は、ゆったりとテレビなど見ていることが嫌いであった。じっとしているとかえって腰が痛くなったり体調が悪いといっていたなあ・・・そんな彼女を私はマグロとまでは行かないが、静止していると生きていられないというカツオかブリのようだと揶揄していたものである。(逆に私は底もののカレイかヒラメの類だと言われてた・・・)
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そのかみさんが今、まるで刑務所の独房のような無菌室に収容?されて2週間が経つ。
さぞ辛いことだろうと思う。大量の抗がん剤治療に耐え、副作用は比較的少なく推移してはいるものの、かなり体力を落として貧血のため顔色も悪い。
寛解導入療法が終わり、これからの2週間感染との戦い、それを乗り切ると又地固め抗がん剤治療が繰り返され延々と続く・・・・長丁場になる。
彼女にとって動けないことの痛手、辛さ何者にも増して大きいだろうと思う。
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BCR(バイオクリーンルーム)と呼ばれる無菌室は家族(登録した2人限定)だけ入室が認められている。入り口の二重ドアに囲まれたところで念入りな手洗いとアルコール消毒をしてから、看護師詰所(スタッフルーム)の中を通り抜け、又自動ドアの仕切りの奥に各部屋がある。
他の一般病室よりもスタッフの数が相当多いし、医師も常に詰めている感じである。
専任の人が一日中壁から窓から手摺や医療器具などを一日中消毒し拭いて回っている。
感染防止という点ではこれ以上のことは無いが、とにかく外界とは隔絶されている。
無菌室から患者は廊下にさえ出られない。小さな窓から隔離面会用廊下を隔てて外の緑が見えることにかろうじて救われるという閉鎖空間である。
手術などで半月経てば退院、とか自由に廊下を歩き売店にも行け、外の空気も吸えるような入院生活なら我慢もできるし希望もあるのだろうけれど。
こんな環境の中で数ヶ月を過ごさなければならないことを思うと、あの元気だった頃のかみさんが・・・・可哀想でならない。
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電話ではいつでも元気な声が返ってくるのだが、本当は辛いのだろうな、と想像しているうちに泣けてくるのである。病状からもある程度先の読めている私が代わってやりたい、そう思う。
そんな電話の後、かみさんから携帯メールが来た・・・
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「泣かないでください。可哀そうだなど言わないでください。
私は泣きません。だならお父さんも泣かないで! お父さんが弱いと私も悲しくなる・・・
絶対治るという気持ちがないと抗がん剤と闘えないよ。
入院中、「負けてたまるか」の精神でやるからね。長丁場でも前向きに、二人であせらずゆっくり歩んでいこう。お父さんが明るく元気だったら私も頑張れる。だから心配しないで・・・
連休中お天気よさそうね。新緑の中で私の代わりに深呼吸いっぱいしてください。
写真もとって送ってね。観たいといっていた映画(犬との10約束)も観てね。・・」
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今日面会に行く予定だったが、「気分がいいし大丈夫だから次(5/3)にして」と言われた。
連休を利用して久しぶりに息子が帰ってくる。そのとき孫を連れて面会に行くつもり。久しぶりに孫の顔を見てかみさん喜ぶだろうな。でも窓ガラス越しで抱っこは出来ない・・・
それを思うとまたまた・・ティッシュで目頭を押さえることに、だめだね。