じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

助けられて この一年

2008年12月31日 | 日々のこと

今年も終わろうとしている。

百年に一度といわれる金融危機に伴う世界の変動が始まり、

世の中は一段と経済・社会不安の増大が予感される年末である。

  

私にとっても、かってない苦難と不安の年だった。

4月桜の頃 妻が入院した。

妻は何度も何度も抗がん剤治療の苦痛に耐えたが、

残念ながら予後は思わしくない・・・

私は岡山までほぼ週一ペースで通った。

祈るような必死の思いでやってきたように思う。

焦燥の中、慌しく月日が過ぎ去って行くばかりであった。

  

9月、自宅近くの病院へ戻り緩和ケアを続ける。

近頃なんとか肩の力を抜いて対応できるようになった。

輸血と疼痛緩和の日々ながら、今日を無事に迎えられたことを喜んでいる。

また、周りからの暖かい励ましと助けに感謝している。

   

この年末年始、妻と共に穏やかに自宅で過ごせることが

今は何よりの幸せと感じている。

そして春四月、妻の願いは自宅で満開の桜を見ること・・・・。

   

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一時の光景

2008年12月29日 | 日々のこと

私の部屋からは四六時中煙突山と背後の銅山峰が望まれる。 

夕方、ふと見るこんな雲が見られた。

撮影後には、たちまち崩れていましたが・・・

  

今年も後僅か、穏やかに越年できればいい

不義理を買うが、今回は年賀状を書けなかった。

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シルエット

2008年12月27日 | 日々のこと

妻は自宅のベッドで眠っている。0812272

ラヴと散歩に出かけた。

午後4時頃、山裾まで日が傾き、影は逆に驚くほど長く伸びて面白い。

   

妻は今日も自宅に帰ることができた。

定時のオキシコンチンが効かなくなり、オキノームの頓服が日増しに多くなっている。がん細胞が骨や関節に転移しているとDr.

私が作った、痛みのレベルと頓服した時間の記録用紙、

深夜にも痛みで何度か起きて薬を飲んでいることがわかる。

その頻度から定時のオキシコンチンの量がまた増加されることになるのだろう。

痛みが取れると、昼間も眠りの時間が長い。

眠りは浅く、夢ばかり見るという。

  

目覚めては「苦労掛けて、ごめんね」

今、私のできる限りのことはしてやろうと思っている。

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外泊準備

2008年12月27日 | 日々のこと

妻が楽しみにしている外泊なのに、今朝はいつものように早朝の迎えが出来なかった

受け入れ準備ができていないからだ。

きのう岡山に行って、寒さと疲れで風邪気味、帰宅してからも体調が悪くて室内の掃除ができていない。

(風邪気味は薬を飲んで早めに寝て、今朝は何とか大丈夫のようだ)

  

病院の準無菌室に居る妻を、自宅に戻すにはそれなりの準備が必要なのだ。

自宅室内やベッド周りの掃除、トイレ洗面所、風呂の除菌消毒など結構気を使っている。

冬の室内は乾燥と静電気もあって埃がしやすい。室温湿度管理にも気を配る・・・

そこまでしなくても良いのだろうけど、できる限りのことを施すことに専念してきた。

  

妻は「年末にも外泊できるから今週は病院にいる」というが、できれば自宅に帰してやりたい。

  

寒さは相変わらずだが、朝から好天気、

さあ元気を出して今から布団に日を当て、大掃除をしよう。

そして午後には迎えに行ってあげよう。

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ピンボケ夜景

2008年12月24日 | 日々のこと

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市内でもガソリン96円/Lの看板

歓迎だけれど、最近は軽で市内を乗るだけなので、恩恵は少ない。

ひところと様変わり、原油の下落が続いている。

  

円高で輸出産業の落ち込みは深刻なれど、

一方では石油精製業や輸入が大部分の大型小売店などなど、

円高メリットでホクホクの業界も あまたあるはず。

この際にと差益で大儲けしているのではないのかな・・・・

トヨタにしても、昨年までの年間1~2兆円の利益はどこへ行ったのでしょう。

  

100年に一度とか、急激と言うわりに、政治の打つ手は遅いこと

P1050919_3 大企業は 弱者へのしわ寄せで乗り切ろうということか・・・

それにしても来年度の国家予算、国債で大盤振る舞い内容はつぎはぎだらけだ。

  

自分のことは棚に上げ、批判とぼやきが増すばかり 

画像もピンボケごめんなさい。

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先が見えない

2008年12月24日 | 日々のこと

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冬至前後のこの季節、日の出の太陽は煙突山の上を低く弧を描き、

午後には駆け足で右の山の向こうあたりに沈みます。

でも今日のような日は、やわらかな眩しい陽ざしが部屋の奥まで差込みます。

    

穏やかな冬晴れ、でも朝の空気は身を切るほど冷たい。

世間では未曾有(みぞう)の不況が進み、企業倒産、失業者が増えている。

年金暮らしの夫婦にとって医療費負担は肩に重く、僅かの蓄えを崩していく。

世の中と同じように私たちにとっても先が見えない、不安が続く。

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日本の医療

2008年12月22日 | 日々のこと

昨夜のNHKスペシャル「医療再建」を見た。

ドイツ、イギリスやヨーロッパ諸国に比べ、日本の医療行政の後進国ぶりが如実にわかった。医療崩壊が進みつつあるのに、それでも根本的な対策がされようとしていない。

  

ヨーロッパ各国では、医師が国民に果たす役割を掲げ、かなり厳しく規制している。

患者の数に応じて、病院や医師の地域分布をきめ細かく計画し配置している。

どんな田舎に行っても家庭医がいないところはない。

極端に例えれば義務教育の教師の配置のように・・・

  

対して日本では、研修医期間が終われば、いつどこで開業するも、何科を標榜するも、すべて医師の側の自由裁量で決められているという。

一方で、身近な自治体病院などでは医師不足で休止科が続出している

疲弊した小児科医の現場を見、一方では羽振りが良く楽な開業医を横目で見れば、高邁な志望に燃えていた研修医の考えもなびくというもの。

(とはいえ、私や妻のかかっていた大学病院での医師の、ハードな勤務でありながら献身的な治療態度には頭が下がった。)

  

日本の医療制度、強力な制度改善が叫ばれている。しかるに厚労省も医師会も、医師の自律性に任せるとの言い分であったのが歯がゆかった。

このままでは産科や小児科医の減少に歯止めが利かない。地域医療は崩壊に至る・・・

少子化対策や医療の地域格差は人権の問題である。

自律性などではなく(たとえば保険点数に差をつけるとか)ここは政治の力だと思う。

北欧をはじめヨーロッパ各国の国民本位の政治に比べ、日本は100歩も遅れているように感じられるのだが。

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ばあばっ子

2008年12月22日 | 日々のこと

暖かい週末の二日間を妻は孫たちを交えて自宅で過ごした。
  
殆ど横になったままだが、rikuはそのベッドの横のテーブルで、

マスクを着けて静かに宿題の勉強をしたり、本の朗読を聞かせていた。
rikuは生後何年かをここで過ごし、根っからのバアバっ子だった。
幼いながら、病気を気遣っているのがわかりいじらしい。
過日、娘からバアバの病状を教えたときには「大泣き」したらしい。

  

日曜の夕方、妻を病院に送り届ける。
二家族、幼い子供が同時に滞在していたので、「何かと騒がしくて疲れたろうよ」と言ったら、

弱々しいながら目を輝かせて「本当に嬉しかった、良かったよ」と喜んでいた。

  

私はこの二日間、たいそう気疲れした。
今日の煙突山は雨もようである。
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孫と煙突山へ

2008年12月20日 | 日々のこと

年末年始を避けてこの週末に息子たちも帰ってきた。08122011

自宅外泊していた妻の要望で家族写真を撮った。

  

土曜日はまたとない冬日和。

午前中、三人の孫たちを連れて煙突山に登った。

3歳と4歳の孫は、riku兄について一休みもせずトコトコと元気に登りきる。私はラヴに引かれて、やっとの思いで登れました。

  

頂上広場は先日の伐採整備で広々と風通しも見晴らしも良くなり、今までなかったベンチも各所に置かれ、訪れる人達に喜ばれることでしょう。

ただ、なんとなくしっくりとこなかったのは、今までの雰囲気に馴染んでいた私だけかも知れません・・・

春になれば芽吹きで蘇るでしょう。

  

妻は痛み止めの頓服頻度が多くなってきた。

それでも娘が作った昼ごはんを、皆んなと一緒に美味しそうに食べた。

そういえば、家庭料理は久しぶりである。

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孫たちが帰ってきた

2008年12月17日 | 日々のこと

0812162_3 15日、娘と孫たちが一足早く帰ってきた。

常夏の国から、rikuは夏服半ズボンのいでたち、オイオイ・・

松山空港から外へ出るとさすがに震え上がった様子。

「でも平気だもん」「ダメダメ風邪など引かせると大変」

   

   

翌朝、早速病室へ駆けつける。

バアバは大喜びだったけど、束の間の逢瀬であった。

  

今日は孫2人とラヴと一緒に河川敷広場で遊んだ。

厚着させたが、すぐに脱いでのびのびと遊ぶ姿にじいじは目を細める。

rikuの脳裏にも煙突山が原風景として残ってくれるといいが・・・

  

その間、娘は病院へ付き添ってくれる。

やはり娘、積もる話に妻もくつろげたようだ。  

時に痛みが襲ってきて、オキノーム頓服頻度が増える。0812179 0812171 0812172

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