じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

孫といた夏

2005年08月28日 | 
一ヶ月に亘る孫といた夏が終わった。正直ホッとしている。
夫婦二人の静かな暮らしと違って、その間は幼子の笑い声泣き声、騒々しさ慌ただしさに満ちていた。普段と違う生き生きとした活気があった。
そして秋の気配と共に、再び静けさと淋しさが舞い戻った。

この一ヶ月と言うもの、例えば食事、洗濯物、野外遊びへの付き合い、昼寝の寝かしつけ、風呂に入れること、本の読み聞かせ・・・・これらは一つ一つが決して苦痛とは言えませんが、想像以上になかなか大変なことだった。(私がやったのはその一部にすぎませんが)
若い母親は目が離せない児を抱えて日ごろこれを1人でこなしている労力が理解できる。
これは自分たちもやってきたことなのですが(妻任せの多かったこと)、若いからこそ出来ることであろうと今更ながら思う。
老いると体力の面でも精神面でも、飛び跳ねる幼児の世話は手に負えないものがある。
3世代家族をつくづく尊敬する。
一方そんな訳で、娘はこの機会を絶好の休息の期間と決め込んでいるのでした。
「なんたって三度の食事を心配しなくていい」のが嬉しいとのたもう。

私が一品料理程度の心得があるので(半分買って出て)昼食は作ってやることにして、勿論朝夕はカミサンが孫用を勘案して、いつもは食べれられないだろうなどと言っては念入りの料理を作ってやり、上げ膳下げ膳?の待遇である。
つまり里帰りの娘は完全に「お客様」気分に浸っているという体たらくなのであった。
それでも好きな洗濯と、1歳になったばかりの子の離乳食だけは娘が作っていた。

それにしても二人の孫(5歳と1歳)は可愛いもの。
それは心底からジジババを信頼して慕ってくれるからに他ならない。だからジジババは孫を無責任に猫かわいがりし、孫たちは(時に厳しくしかる)母親以上に甘え慕ってくる。この関係が「孫は子供より可愛い」という所以であろう。
日ごろ割合と育児に厳しい娘も「余り甘やかさないで」などとは言わず孫たちに向かって「いいわねえ、いいわねえ」と黙認しているのである。娘のほうとしては、それが親孝行と考えているらしい。当たっていなくもない。
050810-9

かくて一ヶ月が嵐のように過ぎ去った。
この夏私的?には、何か遣り残したようでもあり、充実していたようでもあるのだが・・・・・・


コメント (2)
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