じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

AF その2

2005年09月19日 | 不整脈
今度ばかりはすんでのところ命に関わるところであった。

昨日(9/18)、お天気もまあまあなのでかみさんとその友達を誘って、3人で讃岐満濃公園へコスモスを見に行った。前日までの秋を思わせる涼しさと打って変わり、その日はまた夏の日差しが戻って大変な暑さでした。
で、また起こってしまったのです。汗をかきかき写真に夢中になっていたとき急に発作を起こしてしまいました。勿論水分補給はまめにやっていたのですが・・・・

かみさんの運転で1時間半高速を飛ばしてとって帰し急いで病院へ。
日曜日とあって、あいにくいつもと違い当直は初めての若い医師でした。
いきさつを話して前回同様の点滴注射をしていた時です、AFとはいえそれまで140前後の脈拍がモニター心電図で拾えないほどの頻脈になったようです。

急に周りが慌ただしくなりました。酸素吸入、何度も私の名前や、「だいじょうぶですか」と呼びかける声がします。胸に2枚の保護シールを貼られDC(電気ショック)の準備もされました。意識不明になれば決行する雰囲気でした。
しかし苦しかったが意識ははっきりとあって、呼びかけに答えていました。
300/分前後の異常な頻拍で、血圧も60台に落ちていたようでした。いつもは落ち着いているかみさんも、このときばかりは慌てたようで、耳元で「大丈夫、しっかり」と繰り返していました。
酸素吸入下で苦しい中にも、若い医師の慌てぶりや周りのただ事でない空気が感じ取れて、このまま死んでしまうのかと正直思いましたね。子供や孫たちのこと、ホームページのことなどが脳裏に思い浮かびました。
それが10分ほど続いたでしょうか、幸運なことに手を打つことなく頻拍が治まりました。AFはそのままですが、随分と楽になりました。

学会に行っている主治医(院長)にかみさんが状況を連絡し、その後当直医も病状を説明している声がかすかに聞こえた。とりあえずレート(拍数)を下げる薬を点滴しておくこと、2時間後に主治医が帰ってきて治療に当たるという話になったようです。

一寸落ち着いてきて、若い当直医師が看護師と話す内容を聞いていました。
「VTかも知れないのでDC(電気ショック)を準備したんだ、どうもVTではなかったようでよかった。私は心臓外科専門なので、DCはやりなれているんだ」「内科的治療は先生が帰ってこられてから考えてもらいましょう」危ない危ない、すんでのところだった。shidenzu


夕方、主治医が車を飛ばして帰ってその足で駆けつけてくれた。
そして、づっとモニターの前で慎重に監視しながら、ゆっくりと治療薬の点滴を続けた。
そして治ったのです。いつもながら治るときは劇的で感動的です。生き返った気分になります。
主治医は、さすがに経験豊富で腕は確かだと実感されられた。

それにしても心臓の病気は怖いことを今度こそ改めて思い知らされた。
どうもこのところ、原因を出来るだけ排除しているにもかかわらず発作の頻度が確実に上がってきている。今後は汗をかくような行動さえも制限しなければないようだ。
もう暫らく、晩秋の涼しくなる季節までは行動を控えて安静にしていよう。

その時の心電図
上からAF発作時   中は途中の異常事態  下は正常復帰後

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コメント
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