じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

二病息災

2005年09月28日 | 健康・病気
このところのひとりごとは暗い愚痴っぽい内容ばかりでいけない。

ここ数年、特にこの夏場に集中してAF(心房細動)の発作をたびたび起こした。
しかしその都度直ちに緊急の点滴治療を施して洞調律に回復させることに成功してきた。
だからAFなんて簡単に治るものと認識していた。
ところが今年の夏のケースは少し違って、最近の二回の治療では点滴治療中に更に速い異常頻拍に襲われ、運よく治まったものの、あの切迫した不安感は今も尾を引いている。

過去にがんが判明した時の衝撃は勿論大きいものだった。
肺転移が疑われる進行がんと診断されて、余命1年かと覚悟させられた時期もあったものです。しかしセカンドオピニオンと適切な治療もあって、月日の経過とともに次第に克服されてくると、がんとはいっても急にどうこうということは無いな、悪くしてもまだ先のことと自分でも余裕ができてきた。症状も無く、よく食べて飲み、運動もして全く普通の健康人として行動でき4年が経過した今までこられたを有り難いと思っている。

ところが心臓のこととなると、ちょっと状況が違うのですね。
いわば精密な電子機器の信号が突然狂うようなもの、パソコンが急にフリーズするか悪くするとプツンと切れるようで、素人にはお手上げなのです。IMGP5320


かみさんは職業柄「ちょっと心配症すぎる、大丈夫なんだから」という。
しかし実際、発作がいつどこで起こるかわからない不安、そして治療中にも急変することがあるという不安に捉われて、ノミの心臓の小心者にとってはこれがけっこうストレスになる。
多分服用している薬の影響だろうが、常に軽い目眩とふわふわした動悸が伴うなどあって、どうしても自ずと行動も気持も、防御的・鬱気味にもなるというものである。
歳とともにこれはもうあまり好転は期待できないのかもしれない、などと消極的になるし、がんの時に一度は覚悟までしたはずが、一体この気弱さはどうだろうと情けない。

昔から一病息災といわれるが、二病息災もありにして細く長く、と行きたいところ・・・・



コメント
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