じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

shinのこと

2005年09月21日 | 
shin(柴犬)のこと、このことは書くまいと思っていましたが・・・・辛いことが続く。

彼岸を前にした9月のある日の夜、shinが突然逝ってしまった。
いきさつは辛くて書くことが出来ない。
取り返しのつかないことが目の前で起こったことに、妻と私は暫らく放心状態だった。
夕方まで元気だったのに、「何故だ」今もそのことばかり思い続けいています。

いつも一緒に散歩しながら、「おいshinよ、がんを患った私とどちらが長生き出来るか、最後まで付き合ってくれよ」と何度話しかけてきたことか・・・。1人でいるときの唯一の話し相手になってくれる、実に優しい犬であった。
妻は「お父さんの身代わりになってくれたのかもしれない」と言って泣いた。
そうかもしれない。(私自身がAFの心臓発作をたびたび繰り返していた)
もっともっと時間を割いて相手をしてやればよかった・・、色々な出来事想い出が脳裏によみがえって来て、次から次へと悔恨ばかりこみ上げてきて、その夜は眠れなかった。
もう二度と犬は飼うまいと決めた。
翌朝まで傍にいたが、shinは再び目覚めることはなかった。

翌朝、庭の隅の桜の樹の下に花と共に埋めてやった。以前に飼った愛犬もここに眠っている。
墓標はいつも一緒に歩いた河原の青石、これが一番自然なのだよ。ごめんねshin。
数年前、そこに植えた白い彼岸花が、遅れて咲き始めていた。

手植えして20年余、今では一抱えの大樹となった桜、毎年春になると満開の花で覆われる。
「桜の樹の下には屍(し)体が埋ってゐる。何故って桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢゃないか」(梶井基次郎) 春になるとまたその言葉が思い出されることか。

050917shin


コメント (4)
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