羊蹄丸は昭和40年から63年まで、青函連絡船として活躍したというから、
私の会社生活の時代とも重なっている。
お別れ航路の後、東京お台場で船の博物館として親しまれてきた古い大型船である。
当市の高専が中心となった船体解体をテーマとした研究がコンペで選ばれて、
譲り受け曳航されてきたそうです。
船内はお台場にあった立派な博物館仕様のままで、ただ解体してしまうのはもったいない、
市制75周年記念行事で1.5ヶ月の間だけ港に係留し、内部見学会を催しているものです。
当時の青森の朝市とか駅舎、引き込み列車などセピア色の昭和レトロを再現したジオラマも、さすがに東京(どこかの財団)が金を掛けて造ったものだけによく出来ていました。
「津軽海峡冬景色」の歌とともに吹雪の中を渡る連絡船はなんとも郷愁誘われました。
地方では滅多にお目にかかれないお宝見物が出来ました。
私たちが昔利用していた宇高(宇野-高松)連絡船を彷彿とさてくれ懐かしかったですね。
ところで、こうした大型老朽船、解体はほとんどバングラディシュやインドなどで、
劣悪な条件の下、原始的な方法と人海戦術でやっているらしいですね。
シップリサイクル研究はそれを国内で効率的にやろうとした取り組みとのことです。
船は鉄の塊だものね、資源確保としても必要だと思います。