~③について 続き~
中学校の先生の仕事として、
愛情をしっかり与える、感じさせる、というのはかなり大きいウエイトをしめるのではないかと思った。
教科とかその他の生活指導はまあ当然やることだけど、
今の子は「愛情」という、全てが育つ基盤がとても弱いような気がする。
そこに、難しいことをたくさん教えても、ちっとも吸収しないだろう。
他クラスでは、1日目の広島平和記念公園の散策の際に、
広島のボランティアガイドさんに生徒が質問されて、
生徒が答えた内容がふざけているとそのガイドさんに叱られたことが原因で、
その生徒が激しくむくれてしまって散策から脱走したという事例があった。
とりあえず一回認めてやらないと、何も入っていかないというわかりやすい例だ。
誰かに、しっかりと愛されたい、好かれたい認められたいという基本的な人の欲求。
それはまずは親がしっかり満たすべきことだと思うけど、それができない親が増えているのもしれない。
前に書いた2人の子の親は、電話での印象だと、
かなり子どもに対して無関心なのか、ただ忙しいのか、
そんな感じがした。とにかく子どもに構っている感じがあまりしなかった。
私は人の親になったことがない。けど子どもだったことはある。
うちも親が忙しくて、親が構ってくれなくて寂しかった記憶があるけど、
うちには祖父母が同居していたから、親の代わりを祖父母がしてくれていた。
褒めてくれたし、認めてくれた。愛されていたという記憶がちゃんとある。
今の時代、核家族は当たり前。
食事も塾に行く前にコンビニので済ます、とかいうのもよく生徒からきく。
親も仕事で忙しく、食事時ですら一緒じゃないから、ゆっくり話す時間もないのだ。
ならば、学校で家庭でできなかったことも代わりにやるしかない。
教科の指導とは少し違って、愛情を与えるというのは、
全身全霊をかけてやらないとできないことだ。一人ひとり子どものタイプも違うし。
一切のごまかしも効かないし。ものすごく自分が試されてる気にもなるのだ。
最近、教育って大変な仕事だなあと感じることが多くなったのは、ここだ。
教科指導だけなら、それほどじゃない。心よりも頭を使うウエイトが大きい気がするからだ。
もう教科だけなら7年目だ。だからまだまだのところもあるけど、多少は自信も出てきた。
でも、人に愛情を与えるという仕事には全く自信が持てない。
こんな風でいいのか、こんな言葉でわかってくれるのか足りないのか、いつも迷いながらやっている。
しかも、他にやりたいことも多かったから、
自分は逃げ腰なんじゃないか、卑怯なのではないかといつもどこかで後ろめたかった。
この子等を放っといて、いつでも仕事は辞めることはできるのだから。
教師というのは、一生の仕事だと最近では思うようになった。
前は、いつでも辞められると思っていたけれど・・・。
生徒が育ち、同時に自分が育っていくには長い時間がかかるけど、
そういうことが感じられる職場は素敵だと思うようになった。
何より、この仕事を頑張ることは、世の中が良くなる事に大きく貢献できることだと思う。
自分が好きなことをやっても、自分は満足するけど特に人の役には立たない。
好きなことで人の役に立てれば一番いいけど・・。そこまでの才能は、残念だけどない。
才がないなら、ないなりに、心と身体を使って、精一杯生きていくしかない。
人には、持って生まれたもので、それぞれ役割があるのだろう。
自分は社会を構成していく部品なんだと思う。悪い意味じゃなくて。
神様がいるかいないかはわからないけど、
そういう宇宙的視点で見たとしたら、自分が教師を続けていくことは正解な気はする。
でも、次に生まれてくるときは、
自分の好きな事で、人の役に立てる才のある人として生まれてきたいな。
修学旅行の新幹線移動がやたら長かったから、ぼんやりそんなことを考えていた。
帰りの新幹線では富士山がきれいだった。でも、ちらっとみただけで、
あとは体調不良者の対応と保護者対応の電話に奔走していた。
昨年の自然教室では、
夜中の職員打ち合わせで納得いかないことがあって大げんかしたので、
今年はそんなことにならないようにおとなしくしようと思っていた。
けどやっぱり納得のいかないことは多かった。あの班別自主行動のチェックは特に!
けんかは嫌なので、全部、ここで文にして吐き出した(笑)。
つくづく、溜めておけないタイプだ・・・。
長々と思ったこと、考えたことを全て吐き出した。
自分用の長いメモになった。読んでしまった方、どうもすみません
。







ちなみにお土産。
生八つ橋(ラムネ味・いちご味・桜味)、
よーじやの柚のリップクリームとハンドクリーム、手ぬぐい。
木版画の京都の風物詩の絵はがき(クラスに掲示したい)、
北野天満宮での一番でっかい学業守(クラスに置くため)、
「友と学び、友と楽しむ」という書(クラスに掲示したい)を購入。
そういえばクラスの生徒にはものすごく渋い趣味の子がいて、
自分用の御朱印帳を持って来て、各寺で書いてもらっている子もいた。
いいねえ。
ほとんどの子が、日本の文化っていいなあと実感をこめて感想を書いていた。
毎日夜中の3時までしおりチェックをしていたけど、読んでいて楽しかった。
実は2日目の夜に、私は疲れて少し具合が悪くなったけど、
生徒が夕飯を食べたりお風呂に入ったりしおりに感想を書いていた時間帯に、
少し横にならせてもらっていた。副担任の先生にだいぶん助けてもらった。
まだ20代半ばの若い先生だけど、よくいろんなことを察して動いてくれた。
彼女には「よーじや」のものがお土産にはいいよ、
とお礼にアドバイスしといたら、本当に「よーじや」でお土産を買って来ていた(笑)。
いや、僕、そういうのに無頓着なんで助かったです、と。
とても真面目だ
。良い同僚がいるのはありがたい。
あーあ。終わっちゃったよ・・・。お祭りのあとは寂しい。
今日、明日は代休。とはいえ、今日だけ完全に休んで明日は仕事に行く。
次はすぐに合唱コンクールへの取り組みが始まる。
またそれはそれで、クラスのドラマが生まれてくるはず。
身体休めて、また頑張るか
。
中学校の先生の仕事として、
愛情をしっかり与える、感じさせる、というのはかなり大きいウエイトをしめるのではないかと思った。
教科とかその他の生活指導はまあ当然やることだけど、
今の子は「愛情」という、全てが育つ基盤がとても弱いような気がする。
そこに、難しいことをたくさん教えても、ちっとも吸収しないだろう。
他クラスでは、1日目の広島平和記念公園の散策の際に、
広島のボランティアガイドさんに生徒が質問されて、
生徒が答えた内容がふざけているとそのガイドさんに叱られたことが原因で、
その生徒が激しくむくれてしまって散策から脱走したという事例があった。
とりあえず一回認めてやらないと、何も入っていかないというわかりやすい例だ。
誰かに、しっかりと愛されたい、好かれたい認められたいという基本的な人の欲求。
それはまずは親がしっかり満たすべきことだと思うけど、それができない親が増えているのもしれない。
前に書いた2人の子の親は、電話での印象だと、
かなり子どもに対して無関心なのか、ただ忙しいのか、
そんな感じがした。とにかく子どもに構っている感じがあまりしなかった。
私は人の親になったことがない。けど子どもだったことはある。
うちも親が忙しくて、親が構ってくれなくて寂しかった記憶があるけど、
うちには祖父母が同居していたから、親の代わりを祖父母がしてくれていた。
褒めてくれたし、認めてくれた。愛されていたという記憶がちゃんとある。
今の時代、核家族は当たり前。
食事も塾に行く前にコンビニので済ます、とかいうのもよく生徒からきく。
親も仕事で忙しく、食事時ですら一緒じゃないから、ゆっくり話す時間もないのだ。
ならば、学校で家庭でできなかったことも代わりにやるしかない。
教科の指導とは少し違って、愛情を与えるというのは、
全身全霊をかけてやらないとできないことだ。一人ひとり子どものタイプも違うし。
一切のごまかしも効かないし。ものすごく自分が試されてる気にもなるのだ。
最近、教育って大変な仕事だなあと感じることが多くなったのは、ここだ。
教科指導だけなら、それほどじゃない。心よりも頭を使うウエイトが大きい気がするからだ。
もう教科だけなら7年目だ。だからまだまだのところもあるけど、多少は自信も出てきた。
でも、人に愛情を与えるという仕事には全く自信が持てない。
こんな風でいいのか、こんな言葉でわかってくれるのか足りないのか、いつも迷いながらやっている。
しかも、他にやりたいことも多かったから、
自分は逃げ腰なんじゃないか、卑怯なのではないかといつもどこかで後ろめたかった。
この子等を放っといて、いつでも仕事は辞めることはできるのだから。
教師というのは、一生の仕事だと最近では思うようになった。
前は、いつでも辞められると思っていたけれど・・・。
生徒が育ち、同時に自分が育っていくには長い時間がかかるけど、
そういうことが感じられる職場は素敵だと思うようになった。
何より、この仕事を頑張ることは、世の中が良くなる事に大きく貢献できることだと思う。
自分が好きなことをやっても、自分は満足するけど特に人の役には立たない。
好きなことで人の役に立てれば一番いいけど・・。そこまでの才能は、残念だけどない。
才がないなら、ないなりに、心と身体を使って、精一杯生きていくしかない。
人には、持って生まれたもので、それぞれ役割があるのだろう。
自分は社会を構成していく部品なんだと思う。悪い意味じゃなくて。
神様がいるかいないかはわからないけど、
そういう宇宙的視点で見たとしたら、自分が教師を続けていくことは正解な気はする。
でも、次に生まれてくるときは、
自分の好きな事で、人の役に立てる才のある人として生まれてきたいな。
修学旅行の新幹線移動がやたら長かったから、ぼんやりそんなことを考えていた。
帰りの新幹線では富士山がきれいだった。でも、ちらっとみただけで、
あとは体調不良者の対応と保護者対応の電話に奔走していた。
昨年の自然教室では、
夜中の職員打ち合わせで納得いかないことがあって大げんかしたので、
今年はそんなことにならないようにおとなしくしようと思っていた。
けどやっぱり納得のいかないことは多かった。あの班別自主行動のチェックは特に!
けんかは嫌なので、全部、ここで文にして吐き出した(笑)。
つくづく、溜めておけないタイプだ・・・。
長々と思ったこと、考えたことを全て吐き出した。
自分用の長いメモになった。読んでしまった方、どうもすみません








ちなみにお土産。
生八つ橋(ラムネ味・いちご味・桜味)、
よーじやの柚のリップクリームとハンドクリーム、手ぬぐい。
木版画の京都の風物詩の絵はがき(クラスに掲示したい)、
北野天満宮での一番でっかい学業守(クラスに置くため)、
「友と学び、友と楽しむ」という書(クラスに掲示したい)を購入。
そういえばクラスの生徒にはものすごく渋い趣味の子がいて、
自分用の御朱印帳を持って来て、各寺で書いてもらっている子もいた。
いいねえ。
ほとんどの子が、日本の文化っていいなあと実感をこめて感想を書いていた。
毎日夜中の3時までしおりチェックをしていたけど、読んでいて楽しかった。
実は2日目の夜に、私は疲れて少し具合が悪くなったけど、
生徒が夕飯を食べたりお風呂に入ったりしおりに感想を書いていた時間帯に、
少し横にならせてもらっていた。副担任の先生にだいぶん助けてもらった。
まだ20代半ばの若い先生だけど、よくいろんなことを察して動いてくれた。
彼女には「よーじや」のものがお土産にはいいよ、
とお礼にアドバイスしといたら、本当に「よーじや」でお土産を買って来ていた(笑)。
いや、僕、そういうのに無頓着なんで助かったです、と。
とても真面目だ

あーあ。終わっちゃったよ・・・。お祭りのあとは寂しい。
今日、明日は代休。とはいえ、今日だけ完全に休んで明日は仕事に行く。
次はすぐに合唱コンクールへの取り組みが始まる。
またそれはそれで、クラスのドラマが生まれてくるはず。
身体休めて、また頑張るか
