しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

修学旅行を振り返ってみた その5

2012-05-28 14:53:37 | 日記
~③について 続き~

中学校の先生の仕事として、
愛情をしっかり与える、感じさせる、というのはかなり大きいウエイトをしめるのではないかと思った。
教科とかその他の生活指導はまあ当然やることだけど、
今の子は「愛情」という、全てが育つ基盤がとても弱いような気がする。
そこに、難しいことをたくさん教えても、ちっとも吸収しないだろう。

他クラスでは、1日目の広島平和記念公園の散策の際に、
広島のボランティアガイドさんに生徒が質問されて、
生徒が答えた内容がふざけているとそのガイドさんに叱られたことが原因で、
その生徒が激しくむくれてしまって散策から脱走したという事例があった。
とりあえず一回認めてやらないと、何も入っていかないというわかりやすい例だ。

誰かに、しっかりと愛されたい、好かれたい認められたいという基本的な人の欲求。
それはまずは親がしっかり満たすべきことだと思うけど、それができない親が増えているのもしれない。
前に書いた2人の子の親は、電話での印象だと、
かなり子どもに対して無関心なのか、ただ忙しいのか、
そんな感じがした。とにかく子どもに構っている感じがあまりしなかった。

私は人の親になったことがない。けど子どもだったことはある。
うちも親が忙しくて、親が構ってくれなくて寂しかった記憶があるけど、
うちには祖父母が同居していたから、親の代わりを祖父母がしてくれていた。
褒めてくれたし、認めてくれた。愛されていたという記憶がちゃんとある。
今の時代、核家族は当たり前。
食事も塾に行く前にコンビニので済ます、とかいうのもよく生徒からきく。
親も仕事で忙しく、食事時ですら一緒じゃないから、ゆっくり話す時間もないのだ。
ならば、学校で家庭でできなかったことも代わりにやるしかない。

教科の指導とは少し違って、愛情を与えるというのは、
全身全霊をかけてやらないとできないことだ。一人ひとり子どものタイプも違うし。
一切のごまかしも効かないし。ものすごく自分が試されてる気にもなるのだ。
最近、教育って大変な仕事だなあと感じることが多くなったのは、ここだ。
教科指導だけなら、それほどじゃない。心よりも頭を使うウエイトが大きい気がするからだ。

もう教科だけなら7年目だ。だからまだまだのところもあるけど、多少は自信も出てきた。
でも、人に愛情を与えるという仕事には全く自信が持てない。
こんな風でいいのか、こんな言葉でわかってくれるのか足りないのか、いつも迷いながらやっている。
しかも、他にやりたいことも多かったから、
自分は逃げ腰なんじゃないか、卑怯なのではないかといつもどこかで後ろめたかった。
この子等を放っといて、いつでも仕事は辞めることはできるのだから。

教師というのは、一生の仕事だと最近では思うようになった。
前は、いつでも辞められると思っていたけれど・・・。
生徒が育ち、同時に自分が育っていくには長い時間がかかるけど、
そういうことが感じられる職場は素敵だと思うようになった。
何より、この仕事を頑張ることは、世の中が良くなる事に大きく貢献できることだと思う。
自分が好きなことをやっても、自分は満足するけど特に人の役には立たない。
好きなことで人の役に立てれば一番いいけど・・。そこまでの才能は、残念だけどない。
才がないなら、ないなりに、心と身体を使って、精一杯生きていくしかない。
人には、持って生まれたもので、それぞれ役割があるのだろう。
自分は社会を構成していく部品なんだと思う。悪い意味じゃなくて。

神様がいるかいないかはわからないけど、
そういう宇宙的視点で見たとしたら、自分が教師を続けていくことは正解な気はする。
でも、次に生まれてくるときは、
自分の好きな事で、人の役に立てる才のある人として生まれてきたいな。

修学旅行の新幹線移動がやたら長かったから、ぼんやりそんなことを考えていた。
帰りの新幹線では富士山がきれいだった。でも、ちらっとみただけで、
あとは体調不良者の対応と保護者対応の電話に奔走していた。

昨年の自然教室では、
夜中の職員打ち合わせで納得いかないことがあって大げんかしたので、
今年はそんなことにならないようにおとなしくしようと思っていた。
けどやっぱり納得のいかないことは多かった。あの班別自主行動のチェックは特に!
けんかは嫌なので、全部、ここで文にして吐き出した(笑)。
つくづく、溜めておけないタイプだ・・・。

長々と思ったこと、考えたことを全て吐き出した。
自分用の長いメモになった。読んでしまった方、どうもすみません


ちなみにお土産。
生八つ橋(ラムネ味・いちご味・桜味)、
よーじやの柚のリップクリームとハンドクリーム、手ぬぐい。
木版画の京都の風物詩の絵はがき(クラスに掲示したい)、
北野天満宮での一番でっかい学業守(クラスに置くため)、
「友と学び、友と楽しむ」という書(クラスに掲示したい)を購入。

そういえばクラスの生徒にはものすごく渋い趣味の子がいて、
自分用の御朱印帳を持って来て、各寺で書いてもらっている子もいた。
いいねえ。
ほとんどの子が、日本の文化っていいなあと実感をこめて感想を書いていた。
毎日夜中の3時までしおりチェックをしていたけど、読んでいて楽しかった。
実は2日目の夜に、私は疲れて少し具合が悪くなったけど、
生徒が夕飯を食べたりお風呂に入ったりしおりに感想を書いていた時間帯に、
少し横にならせてもらっていた。副担任の先生にだいぶん助けてもらった。
まだ20代半ばの若い先生だけど、よくいろんなことを察して動いてくれた。
彼女には「よーじや」のものがお土産にはいいよ、
とお礼にアドバイスしといたら、本当に「よーじや」でお土産を買って来ていた(笑)。
いや、僕、そういうのに無頓着なんで助かったです、と。
とても真面目だ。良い同僚がいるのはありがたい。

あーあ。終わっちゃったよ・・・。お祭りのあとは寂しい。
今日、明日は代休。とはいえ、今日だけ完全に休んで明日は仕事に行く。
次はすぐに合唱コンクールへの取り組みが始まる。
またそれはそれで、クラスのドラマが生まれてくるはず。

身体休めて、また頑張るか








修学旅行の振り返りをしてみた その4

2012-05-28 14:29:07 | 日記
話がうろちょろしてしまっているような気がするけど、振り返りその4。

~③について~

うちのクラスでは行きの新幹線から調子が悪くなる子がいた。
酔い止めを飲んでも全く効かない。
しかも、乗り物酔いの症状ではない、過呼吸症状も同時に出る。
車掌さんにお願いして、養護の先生と新幹線内の救護室へ。
この子は結局、乗り物は全部ダメで、3日間ずっと乗り物内ではずっと横になっていた。
昨年はこの子、こんなことなかったのに。しかも同時に出る過呼吸症状は一体なんなんだ。
帰りの新幹線内から保護者に連絡するも、この子の親だけは、新横浜まで迎えにいきます
と言わなかった。冷たく「じゃ、お願いします。」とだけ言われた。
他の体調不良者の保護者は両親揃って新横浜まで迎えにきたりしていたのに・・。
人の親でもある校長先生は
「信じられないわ。何があっても子どもが調子悪いなら迎えにはくるでしょ。」とぼやいていた。
この子の過剰演技のような過呼吸症状について、
「おそらく無意識でこの子は、人の注目を引きたいのよ。人の愛情を感じたいのよ。」と校長先生は言う。
私も同じ意見だった。この子は愛情に飢えてるなあと常に思っていた。
その証拠に、宿舎ではこの子は人一倍元気で、
周囲に迷惑なほどテンションをあげて騒いでいた。身体の病気じゃないのだ。

また、カラーコンタクトで目が腫れた子も、愛情が不足してる感じが常に漂っていた。
他クラスにいる彼氏とうまくいかなくなってからは、体調も言動もおかしくなっていた。
彼氏とのことばかりに夢中だったから、クラスでも浮いていた。

京都で眼科を受診し、間髪入れず今度はお腹が痛いと言い出した。生理痛だと。
養護の先生が、飲んでいる薬を聞き出して買って来てくれた。
生理痛でお腹がいたくて何も食べれないというけど、食べないで薬を飲むのも胃に悪いから、
夕飯を別室に持って来てもらい、仕方ないから私が箸を持って食べさせた。
えー豆腐がまずーい、そうめんがぬるいよ~とか言いながらも少しだけは食べた。
まるで赤ちゃんのようだった。
その後、薬を飲んで自分の部屋に帰ったのは良かったけど、痛いよー!と騒ぎまくって
部屋中を文字通り転がりまくって、壁に頭を打ち付けたりする謎の行動で部屋の子を辟易させていた。
これじゃあ他の子が寝られないので、私ともう一人、職員がいた部屋で預かった。

最初は痛い痛いと騒いでうずくまっていたけど、温かいお茶を一緒に飲んだり、
私やもう一人の先生と話したりしてるとだんだんと落ち着いて来た。
結局、私の部屋でその子は12:00頃に寝た。
どっちみち、私は夜中に職員の打ち合わせもあるし巡回もあるし、しおりのチェックもあるしで
ろくに寝られないから、誰が居ても良かった。穏やかな顔で寝ていた。

次の日からその子は調子が良くなって、班別の際では恋愛相談を男女関わらずしたようで、
部屋でも恋の話で盛り上がって、帰りにはたくさん友達ができていたのは、前にも書いたか。


【続】




























































修学旅行の振り返りをしてみる その3

2012-05-28 12:41:38 | 日記
~②について~
◯組◯班は、もともと自分たちが立てた予定を守らず、しかも変更を本部に連絡せず、
どうやら他の班と途中から合流しているとの情報も来ていて、
本部の先生たちが大変怒っていた。
京都の名所を調べ、路線を確認し、細かい計画表を作ることに事前学習の数時間を費やしている。
なので徹底的に予定表に忠実にあれ、というのが、本部の先生の考えだった。

本部からのその連絡に従って、一度京都駅に帰りかけていたのをもう一度引き返し、二条城へ。
しかし閉門の4時が接近しており、もうそこにはいなかった。
帰途についてしまったようだった。目的の班には会えなかったことを本部に連絡した。

17:00には宿舎で帰着チェックを各担任がする予定だったので、急いで私も帰途につく。
その間、個別支援級の先生に携帯で連絡を取っていた。
問題になっていた班にはそういえば、個別支援級の子がいたのだった。
ならば、個別の先生がその班と一緒に、もしくは付かず離れずにいるかもしれなかったから。
残念ながら、個別の子と先生は、班とは二条城から別行動をしていて、今の様子はわからなかったけど、
二条城前で「めんどくさいから、最後の東本願寺を抜こう。」という相談はしていたのを聴いたという。
また、予定表では全く異なる動きのはずだった他の班と、同じように動こうとしていたのも確認できた。

見かねて、個別の先生が、「変更をするなら、本部に連絡は入れなさい。」
と生徒に言ってくれたようだったけど、そのまま本部には連絡はなかった。

17:00前に宿舎には到着したけど、入り口から行列ができていた。
予定より早く帰ってきた班がたくさんあったのだ。
本部では、長机に4人の先生が座っていた。
そこに横1列になって班の6人が帰着チェックを受ける。
しかし全く前に進んでいない。問題の班が先頭にいた。
やっぱり、予定をすっとばしてかなり早く帰ってきたのだ。
先生が、予定表を細かにチェックしながら、
「何時にここに着いたか、何分間いたのか」とアリバイ探しのように詰問していた。
子どもたちの顔が強ばっている。班長の子は嘘をついた。
行ってないはずの東本願寺に「行った」という。駆け足で行ったと。
しかしバレる。先生は余計に激怒してしまった。

生徒には各班に1台、携帯が渡してあった。連絡用でもあるけど、
GPS機能で、居た場所もいわば本部に「監視」された状態だったのだ。
それは私たち、外を巡回していた教員がもっていた携帯も同じで、
だから決められたエリアから私も出ることはできなかった。
三条あたりで行ってみたいところもあったけど。

帰着チェックを受ける子ども達の顔が曇り始めた。
最初の班が大激怒を受け、その後の班にも同じ先生が細かく経路をチェックし始めてしまった。
あれ、担任がチェックする予定だったんじゃないの?と私は思いながら本部の後ろに控えていた。
並んでいる子どもたちの目が「なんでこんなことになってんの?」という不安の色になっている。
たった5分、帰って来るのが早かった班は、
「もっと見たいという気持ちがないから、早く着いたんだ!」と責められていた。
気の弱い女の子は、怒声がもう怖くてぽろぽろ泣いていた。

本来なら、担任が
「暑かったね、怪我とかなかった?どこが良かった?元気で帰ってこられて良かった!」
と、知らない土地で大冒険してきた子ども達を迎えてあげるところである。
そうしたかった。午後からはひどく暑かった。みんな、頑張ったのだ。

疲れて、1個くらい見学場所をすっとばしたいという気持ち、私は実際歩いたからけっこうわかる。
私、正直言うとだるくて移動にタクシーを使ったところもあったのよね。
だって、烏丸線と東西線と京阪電車はいいけど、バスも混んでるし、ものすごく暑いし。
だから1個くらいとばしてもいいじゃんと本音では思うのよ。


昼食場所での通過チェックの時で、もうヘトヘトになっている班も多かった。
そこを「見学場所をとばすなんて、やる気がない!」と理由も聴かず断罪してしまうのは、
涼しい本部でずっと座ってるだけの先生にしかできない、ひどく思いやりのない行為だと思う。

時間をきっちり守ることも大切だけど、はじめての土地で時間通りには動けないだろう。
集団だったら疲れている子がいて、その子の介抱で予定通りのバスに乗れなかったり、
金閣寺方面に行った子たちはバスがなかなか来ず、徒歩でまわったというから、
時間も大幅に変わって来るだろうし、
三十三間堂前のバスは混みすぎていて、2本見逃しても乗れなかったらしい。
そういうアクシデントはつきもの。ガイドブック上で立てた予定なんて、その通りにはいくわけない。
しかし、5分の違いで怒られるのだ。なんだそれ・・。
子ども達は従順というか流していたのか、先生の怒声にただ謝っていた。

で、昼ご飯の場所でふざけていて転んで、頭を打ったうちのクラスの男子が帰ってきたときだけは、
私のところに回されて来た。その子こそ怒んなきゃいけないじゃんね・・・・。
「ふざけてたらみんなが迷惑するし、今回は偶然怪我も何にもなかったから良かったけど、
頭を打って記憶なくなったり、わけわかんなくなったりとか、何か起こったらどうするつもり? 
自分の行動に責任を持ってよね。」
いつもへらへらしてるそいつは、やっぱりへらへらして「すみません」と言った。
こういう子はなにかあってみないと、自分の行動のアホさ加減がわからないのかもしれない。

今回、子どもに何を教えたいのか、
宿泊行事での目的が教員間で共通理解できていなかったことを痛感した。

私は
・仲間とのつながりを感じ、仲間とともに協力し、楽しむこと
・広島の平和記念資料館や京都の文化に触れて感じたこと、考えたことを言葉にしてみること
・自主自律の心を養う

ことだと考えていた。だから、5分、帰着時間が違ったから怒る、というのは私の中にはなかった。
時間を守るというのは、自主自律の心の中には含まれると思うけど、時と場合による。
アクシデントがつきものの班別自主行動では、該当しないのではないか。

普段、彼氏にばかり心が向かっていたうちのクラスのある女子は、
この旅で恋愛相談をたくさん班の仲間にしたらしい。
男子も相談に乗っていたし、夜も部屋の子にしゃべっていたようだ。(夜は寝て欲しいけど)
帰りには、男女関わらず多くのクラスメイトと普通にいろいろ話せるようになっていた。

人とのつながりはある意味セーフティネットだ。
2年のときはちょっとグレそうな雰囲気だったこの子だけど、
これだけ仲間がいれば、悪い方には向かわないだろう。笑顔も増えた。
宿泊行事は仲間作りには最も有効な方法だと思う。

広島では平和記念資料館で、ビジュアルに訴える核や戦争の恐ろしさ、虚しさを
生徒も痛感したようだ。平和学習としてはこれ以上のものはない。
京都では、にわかに日本文化フリークが増え、自分用のお土産には扇子を買う子が多かった。
しかも、よくお土産物屋にあるジャニーズとかのじゃなくて、和柄の、本格的なもの。
帰りの新幹線では、まるで平安貴族のように、優雅に扇で扇いでいる男子が多数いた。
3日目のクラス別体験での西陣織の機織り体験が相当楽しかったようで、
自分で織った!と誇らしげに見せてきた。
全員、機織りで小さなコースターを織って記念撮影。それがお土産になった。

課題は多いけど、私としては、子どもたちはよくやっていたと思うし、褒めてあげたい事も多い。
何より、仲間を作るのが下手だったうちのクラスの子が、
楽しくいろんな人と話している帰りの新幹線内での姿が、一番の旅の収穫だった。

【続】




修学旅行の振り返りをしてみる その2

2012-05-28 12:26:23 | 日記
2日目、生徒たちが楽しみにしている京都班別自主行動。
この日は、生徒たちが事前に立てた計画に基づいて京都の名所を班でまわる。
午前中は涼しかったけど、午後から少し蒸し暑くなってきた。盆地の気候だ。
前日の夜にはしゃぎすぎて寝てなかった子は、てきめんに体調が悪くなった。
また、集団に慣れず眠れなかった子もいて、そういう子は
午前中は宿舎で休んで、午後から養護の先生と別ルートを回って京都見学をしていた。
養護の先生は、朝から猛烈に忙しかった。
あちこちで気持ち悪いだの、お腹が痛いだの、足が痛いだの。
そのほとんどがはしゃぎすぎの睡眠不足か、食べ過ぎの腹痛か、筋肉痛だ。

うちのクラスは2名が病院にお世話になった。
一人は、カラーコンタクト(!)が痛くて目が腫れるの巻。
修学旅行当日はしてなかったけど、前日までしていたらしい。
1日目の夜、保護者に連絡をして、京都の眼科へ。
その後、この子は生理痛もひどくて、叫びまくる(・・)ので他の子が寝られず、私と同じ部屋に寝た。
もう一人は3日目、熱中症で脱水症状を起こして、新幹線内の救護室に寝ていて新横浜駅から救急病院へ。
この子は、昨日の夜にもう症状は落ち着いて、点滴もしなくていいよと言われた。
慣れない環境で緊張したのも調子が悪くなる原因だったようで、横浜に着いたとたん、症状が軽減していた。

4月に小学校から赴任してきたばかりの養護の先生は、このあまりの忙しさに驚いて、
「中学の修学旅行って、病人とかいないと思ってた。間違いだったわ。」
と。中学生もまだ子どもっていう証拠。宿泊してみるとよくわかる。



で、2日目班別自主行動。教員は巡回スケジュールが決まっていて、
私は午前は銀閣寺を中心とした東山エリアを、午後は二条城付近と西陣あたりを、
というのと、昼ご飯場所での通過チェックが仕事。
午前中は、哲学の道から銀閣寺へ、その後平安神宮付近へ。
銀閣寺で三班、平安神宮で一班と遭遇する。見知らぬ土地でへとへとながらも楽しく旅していた。

その間、岡崎カフェという、町家を改造した素敵なカフェを見つけてお茶をする。
探したらネットに画像があった。店の中が素敵だったんだけど、外のしかないなー。

そうこうしているうちに、通過チェックをする西陣に行かなきゃの時間に。

しかし、予定より昼食時の通過がどの班も早めで、
午前中担当の先生がほぼやってくれてたこともあって、13:00には仕事がフリーになる。
よし!二条城・西陣エリアを旅してみよう、と決めた。
東西線や烏丸線、京阪電車が走っているところ以外はかなり不便。
なので、この電車路線付近で。
まずは相国寺。
鳴き龍で有名。手を叩くと天井に反射した音が鳴いた龍の声に似てるというもの。
龍がどうやって鳴くのかは知らないけど、確かに面白い響き方をする。
その後、その隣にある同志社大学今出川校舎。
神学館からはパイプオルガンの音がしていた。大学にいた頃と変わらない。
キャンパスに立つと、その頃に自分の気持ちが蘇って来たのには驚いた。

懐かしい気持ちの後は、二条城。
しかし、二条城の周辺だけを巡回した。数班とすれ違う。
本当の目的は、二条城近くの丸太町堀川にある小さなギャラリー、モーネンスコンピス。

ギャラリー モーネンスコンピス http://www.maane-moon.com/galleri/
小さな町工場の上にあるギャラリー。自費出版っぽい、和菓子の写真集をゲット。

そんな風に、午後は完全に一人旅状態。15:30、そろそろ宿舎に帰ろうと東西線へ。
二条城前から烏丸御池へ。そこから更に烏丸線に乗り換えて京都駅付近の宿舎へ帰ろうと思いきや、
そこで指示が来た。私が持っていた本部用携帯に連絡が入る。
「今、その周辺にいるはずの◯組◯班が、予定表と違う動きをしているようだから、
見にいって。」というものだった。

【続】