《月刊救援から》
◆ 「黒い雨」訴訟の経過と判決の歴史的意義を考える
◆ 経過
一九四五年八月六日に原爆か投下された後、広島市とその周辺地域に黒い雨滴を含む「黒い雨」が降った。原爆投下時から夕方まで広島市とその周辺に降った雨を白い雨も黒い雨も「黒い雨」と呼ぶ。
七○年後の二〇一五年、「黒い雨」を経験した八四人か広島地方裁判所に広島県、広島市を相手に、原爆被爆者救済法第一条第三項に規定されている「原爆投下時または原爆投下後の原爆投下による「被爆者」(以下「被爆者」とする)として認定せよ」として訴えたのが「黒い雨訴訟」である。
訴訟は二二回の口頭弁論を経て昨年七月九日、広島地方裁倒所は原告全員を「被爆者」と認定した。これに対して国(厚労省)は「被告区域拡大にむけての再検証をする」として一億五千万円を計上して「検討会」を立ち上げ、市・県を説き伏せ、控訴期限ぎりぎりに両者は控訴を決定したのである。
国はあくまても参加行政庁に過ぎないのて、控訴権はない。闘いの場面は広島高裁に移った。
この一連の動きに対し、いち早く反応したのが、広島の「伊方原発運転差し止め訴訟・広島」原告団と福島原発事故の被害者がつながる組織「ひだんれん」の共同行動てあった。
広島地裁判決の朗報が伝わると同時に、県・市・厚労省の各機関に出向き、「控訴することなくこの判決を碓定させよ!」との申し入れを行った。
そして、国の意向による、県と市の控訴決定に対して、九月二九日に怒りの抗議文が、共同声明の形で出され、記者会見とオンライン中継がおこなわれた。
「環境中に放出された死の灰によって多くの住民が健康被害と不安に苦しんでいる事実と、政治的判断による線引きによって被害者は分断され、差別され、賠償や援護策から切り捨てられようとしているのは、七五年を経た原爆も、一〇年を経た原発事故も同じです」
「重い扉をこし開けたその向こうには、八四人にとどまらない数千人規模の被ばく者が救済を待ち望み、内部被ばくの認定は福島原発事故被害者にとって、命を守る手立てとして継承されなければならないのです」と訴えた。
広島高裁における控訴審は昨年の一一月一八日に西井和徒裁判長許訟指揮のもとに開始した。
広島高裁の控訴審初回では、原告団長高野正明氏の意見陳述だけで閉延。
高野氏は「この五年の間に一六人が帰らぬ人となり、三人が裁判を続けられなくなった。スピード感をもって判決に臨み、早く被爆者健康手帳の交付をお願いしたい」と締めくくった。
その後の進行協議の内容を、竹森弁護団長は報告集会で次のように伝えた。
広島地裁・高島義行裁判長の判決文を基本的に継承しながら、リアリティを重視し、科学的整合性のとれた完成度の高い判決文に高めた。
この判決を受け、伊方訴訟広島原告団と福島ひだんれんは、「最高裁上告断念に関わる申入書」を携え、厚労省・広島県・広島市に面談し、上告をせずに直ちに判決を確定するよう要請活動に入った。
同時に増田雨域を提唱された増田善信氏ら専門家集団と原告団、弁護団一三名が呼びかけ人となり、「一刻も早く判決を受け入れるように」という署名活動が開始された。市民運動の相乗効果である。
国は控訴せず、判決は確定した。
◆ この裁判の歴史的意義について
①根拠のない「線引き」よりは個人の供述を重視したこと
「黒い雨」訴訟原告は、被ばく以来、科学的根拠のない「線引き」によって苦しみぬいてきた人たちである。同じ不条理が福島被害者を今も苦しめている。
放射能被害の有無、濃淡の「線引き」は論外として、いまだ統一的な結論をたす段階に至っていないとし、個別の実情に耳を傾ける供述重視の姿勢て判断を導いた手法は、まさに科学的認識論の王道そのものである。
その判断を根底て支えたものとして「他の戦争被害と異なる特殊な被害」としつつも、国策の犠牲者に償う「被爆者援護法」の理念かあった。
現在各地て進行中の福島原発事故による損害賠償訴訟においても、国策として推進された原発エネルギー政策の誤った安全神話の流布の中での事故てありながら、「線引き」が大手を振ってまかり通っている現状がある。
②内部被ばくを「被ばく者認定」の根拠として位置づけたこと
広島地裁判決で高島義行裁判長は「(呼吸や飲食で)体内組織に放射性微粒子が付着すると集中被はくが生じることで外部被ばくより危険が大きい」と指摘し、バイスタンダー効果、ペトカウ効果といった最新の知見を引用した。
広島高裁の西井和徒裁判長も「黒い雨に直接うたれたものは無論のこと直接うたれなくても、空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり、地上に到達した放射性微粒子が付着した野菜を摂取したりして、放射性微粒子を体内に取り込むこと」で内部被ぼくによる発症を認めた。
残留放射能は考慮しないとするABCCに始まる政冶的意図による科学の歪曲は、広島の地から、糺されたことの意義は大きい。
③原爆被害者と原発被害者が、同し思いで権利の擁護にアクションを起こしたことの意義
原爆は悲惨だが、原発は事故さえ起こさなければ有益であるという誤った認識は、日本に限らず、世界の、主に途上国て巧妙に流布され、核企業を支えている。
原発と死の灰は事故の有無に関係なく不可分てあり、核戦争も原発も人類とは共存できないことをこれからも世界に発信する使命を果たしたい。その名誉ある第一歩を踏み出した、
(水戸喜世子)
『月刊救援 628号』(2021年8月10日)
◆ 「黒い雨」訴訟の経過と判決の歴史的意義を考える
◆ 経過
一九四五年八月六日に原爆か投下された後、広島市とその周辺地域に黒い雨滴を含む「黒い雨」が降った。原爆投下時から夕方まで広島市とその周辺に降った雨を白い雨も黒い雨も「黒い雨」と呼ぶ。
七○年後の二〇一五年、「黒い雨」を経験した八四人か広島地方裁判所に広島県、広島市を相手に、原爆被爆者救済法第一条第三項に規定されている「原爆投下時または原爆投下後の原爆投下による「被爆者」(以下「被爆者」とする)として認定せよ」として訴えたのが「黒い雨訴訟」である。
訴訟は二二回の口頭弁論を経て昨年七月九日、広島地方裁倒所は原告全員を「被爆者」と認定した。これに対して国(厚労省)は「被告区域拡大にむけての再検証をする」として一億五千万円を計上して「検討会」を立ち上げ、市・県を説き伏せ、控訴期限ぎりぎりに両者は控訴を決定したのである。
国はあくまても参加行政庁に過ぎないのて、控訴権はない。闘いの場面は広島高裁に移った。
この一連の動きに対し、いち早く反応したのが、広島の「伊方原発運転差し止め訴訟・広島」原告団と福島原発事故の被害者がつながる組織「ひだんれん」の共同行動てあった。
広島地裁判決の朗報が伝わると同時に、県・市・厚労省の各機関に出向き、「控訴することなくこの判決を碓定させよ!」との申し入れを行った。
そして、国の意向による、県と市の控訴決定に対して、九月二九日に怒りの抗議文が、共同声明の形で出され、記者会見とオンライン中継がおこなわれた。
「環境中に放出された死の灰によって多くの住民が健康被害と不安に苦しんでいる事実と、政治的判断による線引きによって被害者は分断され、差別され、賠償や援護策から切り捨てられようとしているのは、七五年を経た原爆も、一〇年を経た原発事故も同じです」
「重い扉をこし開けたその向こうには、八四人にとどまらない数千人規模の被ばく者が救済を待ち望み、内部被ばくの認定は福島原発事故被害者にとって、命を守る手立てとして継承されなければならないのです」と訴えた。
広島高裁における控訴審は昨年の一一月一八日に西井和徒裁判長許訟指揮のもとに開始した。
広島高裁の控訴審初回では、原告団長高野正明氏の意見陳述だけで閉延。
高野氏は「この五年の間に一六人が帰らぬ人となり、三人が裁判を続けられなくなった。スピード感をもって判決に臨み、早く被爆者健康手帳の交付をお願いしたい」と締めくくった。
その後の進行協議の内容を、竹森弁護団長は報告集会で次のように伝えた。
・国がとり組む「検討会」に裁判は関与しない広島高裁西井和徒裁判長は審議に時間を浪費することなく、本年七月二九日、控訴審の判決を言い渡した。
・健康被害が発生する《可能性》があったかとうかが判断枠組みてあり、《蓋然性》を求めることはしない
・裁川所は九つの項目について国側に求釈明をし、一二月を提出期限とした。次回二月七日をもって、結審を目指す。
広島地裁・高島義行裁判長の判決文を基本的に継承しながら、リアリティを重視し、科学的整合性のとれた完成度の高い判決文に高めた。
この判決を受け、伊方訴訟広島原告団と福島ひだんれんは、「最高裁上告断念に関わる申入書」を携え、厚労省・広島県・広島市に面談し、上告をせずに直ちに判決を確定するよう要請活動に入った。
同時に増田雨域を提唱された増田善信氏ら専門家集団と原告団、弁護団一三名が呼びかけ人となり、「一刻も早く判決を受け入れるように」という署名活動が開始された。市民運動の相乗効果である。
国は控訴せず、判決は確定した。
◆ この裁判の歴史的意義について
①根拠のない「線引き」よりは個人の供述を重視したこと
「黒い雨」訴訟原告は、被ばく以来、科学的根拠のない「線引き」によって苦しみぬいてきた人たちである。同じ不条理が福島被害者を今も苦しめている。
放射能被害の有無、濃淡の「線引き」は論外として、いまだ統一的な結論をたす段階に至っていないとし、個別の実情に耳を傾ける供述重視の姿勢て判断を導いた手法は、まさに科学的認識論の王道そのものである。
その判断を根底て支えたものとして「他の戦争被害と異なる特殊な被害」としつつも、国策の犠牲者に償う「被爆者援護法」の理念かあった。
現在各地て進行中の福島原発事故による損害賠償訴訟においても、国策として推進された原発エネルギー政策の誤った安全神話の流布の中での事故てありながら、「線引き」が大手を振ってまかり通っている現状がある。
②内部被ばくを「被ばく者認定」の根拠として位置づけたこと
広島地裁判決で高島義行裁判長は「(呼吸や飲食で)体内組織に放射性微粒子が付着すると集中被はくが生じることで外部被ばくより危険が大きい」と指摘し、バイスタンダー効果、ペトカウ効果といった最新の知見を引用した。
広島高裁の西井和徒裁判長も「黒い雨に直接うたれたものは無論のこと直接うたれなくても、空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり、地上に到達した放射性微粒子が付着した野菜を摂取したりして、放射性微粒子を体内に取り込むこと」で内部被ぼくによる発症を認めた。
残留放射能は考慮しないとするABCCに始まる政冶的意図による科学の歪曲は、広島の地から、糺されたことの意義は大きい。
③原爆被害者と原発被害者が、同し思いで権利の擁護にアクションを起こしたことの意義
原爆は悲惨だが、原発は事故さえ起こさなければ有益であるという誤った認識は、日本に限らず、世界の、主に途上国て巧妙に流布され、核企業を支えている。
原発と死の灰は事故の有無に関係なく不可分てあり、核戦争も原発も人類とは共存できないことをこれからも世界に発信する使命を果たしたい。その名誉ある第一歩を踏み出した、
(水戸喜世子)
『月刊救援 628号』(2021年8月10日)
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