《月刊救援から》
☆ 中山道で考える
前田朗(東京造形大学)
関東大震災が起きるや、東京にいた朝鮮人数百人を「保護」する名目で前橋(群馬県)に移送することになった。東京から埼玉、そして群馬へと、警察と途上の町村がリレー方式で護送した。ルートは中山道と荒川であり、すべて徒歩であった。
中山道と荒川は東京から埼玉へ、東南から北西へと並行して走る。高崎線もほぼ並行状態であり、現在は上越新幹線が加わっている。大宮(現さいたま市)、本庄、寄居ても虐殺があったが一番多いのが熊谷である。
熊谷における虐殺は東南の久下地区から始まる。荒川沿いに移送された朝鮮人を地元住民が待ち受け、取り囲み引きずり出し次々と殺害した、久下神村やその脇の路上も現場である。近くの東竹院に慰霊碑が立っているが、つい最近まで研究者にも知られていなかった。
町の中心部でも、熊谷駅近くのニットーモールショッピングセンター周辺が現場である。当時ここにニットーの工場があった。
熊谷駅を過ぎて中山道を進むと、本町にはコミュニティひろばがある。ここにはかつて熊谷警察署があり、引率された朝鮮人か送られてくるや地元住民に取り囲まれた。
さらに北西に移動するると熊谷寺(ゆうこくじ)があり、ここも虐殺現場になったと言われる。熊谷寺の墓地には慰霊碑が建立されている。
関原正裕『関東大震災朝鮮人虐殺の真相-地域から読み解く』(新日本出版社)は埼玉県における虐殺の実相を詳しく描き出す。地元の実態調査を続けてきた関原は「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が発生し、民衆が各地で朝鮮人を虐殺した「事実」をさらに掘り下ける。
虐殺は自然発生ではなく国や県による通達(移牒)により自治組織に指示されたことか明らかにされる。上からの指示によって虐殺が実現してしまった。
虐殺後には殺人の実行犯を免責するために国や県が組織的に動いたことも資科をもって示される。
移牒を発出し、風説を作り出した張本人が国であったこと、虐殺の責任を意図的に自警団に転嫁したこと、殺人実行犯に特赦を与えて事実上免責したことが判明する。
☆ 上官の責任
東京でも横浜でも熊谷ても、国と警察と民衆の合作て大虐殺が起きた。朝鮮人中国人に対するジェノサイドである。
最近ては関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドと呼ぶ人が増えているが、言葉を変えただけである。それでは意味がない。ジェノサイドは国際法上の犯罪であるから、国際法に照らして考える必要がある。
上官の責任の法理が注目される。上官の責任とは、戦争犯罪やジェノサイドや人道に対する罪について、自分の命令・監督の下にある軍隊が犯罪を行ったこと、適切な指導監督か欠如していたことを条件として、部下が犯罪を行っていることや、行おうとしていることを知っていたこと、又は犯罪か行われたのに、その防止や処罰のために必要な措置をとらなかった場合、上官に責任を問う法理である。
第一次大戦後のライプチヒ裁判は軍司令官に部下の犯罪について責任を認めた。
第二次大戦後のナチスドイツに対する軍事裁判(最高司令部事件、人質事件、マイヤー事件)で軍司令官の責任か問われた。
日本では山下奉文裁判が知られる。フィリピン方面軍最高司令官だった山下奉文は指揮下にある一部隊に部分的撤退を命じたが、命令に反して撤退が行われなかった。山下司令官が山岳地帯に孤立したため、他の司令官との情報伝達ができなかった。自分の部隊に大規模な犯罪の実行を許したため、監督義務違反に問われた。死刑判決が下され、一九四六年二月二三日、山下は処刑された。
犯罪現場に行っていない山下が最高責任者として処刑された。これが上官の責任である。
驚くほどのことではない。旧ユーコスラヴィア国際刑事法廷ではミロシェヴィチ裁判が行われた(本人死亡により終結)。現場に行っていないし手を下していないが最高責任者であった。
ハーグ(オランダ)の国際刑事裁判所はロシアのプーチン大統領に逮捕状を発布した。ウクライナに行っていないが最高責任者たからである。
国際刑事裁判所規程には上官の責任が明示されている。上官の地位にいたことだけで責任が生しるわけではない。上官の責任は、上官が部下による犯罪の実行を防止も処罰もしなかった場合に生じる。指揮官がその犯罪を実行したことではなく、犯罪を実行した部下との関係での不作為について責任を問われる。
部下が犯罪を行ったことを知っていた場合だけでなく、「知る理由」があった場合も該当する。知る理由というのは推定的認識であり、直接証拠又は状況証拠によって認定できる。
部下か違法行為をするかもしれないという一般的情報を有していれば、知る理由があった。部下による犯罪の詳細を知っていたことは必要ない。部下による犯罪があったかもしれないので、追加の捜査が必要だと示す情報を持っていれは十分である。
ジェノサイドの責任については実行犯、共犯、煽動犯、及び上官の責任を論じる必要がある。たまたま個人が犯すような犯罪ではない。それでは関東大震災のジェノサイドの責任はどのように論じるべきたろうか。
『月刊救援』(2024年5月10日)
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