パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

絶えないバス事故

2016年01月27日 | 格差社会
  暮らしと安全を破壊する
 ◆ 行き過ぎた規制緩和 (週刊新社会)
   労働者が怒りの告発


 1月15日未明に発生し、運転士を含め15人もの犠牲者を出してしまった軽井沢スキーバス事故は、まぎれもなく「行き過ぎた規制緩和の成れの果て」と断言できよう。
 事故当日の朝、職場の控室はその話題で持ちきりだった。未確認情報が乱れ飛ぶ中、私や多くの仲間は直感的に「また規制緩和の犠牲者が出た!」「下限運賃制など、どうせ守られちゃいない」と思っていた。
 そして案の定、当該バス会社は、発注者から1行程あたり法定運賃より8万円も安く買い叩かれていたのだ。そのような受注が常態化していたならば、現場の運行管理は自ずとずさんになるに決まっている。そして犠牲になるのはいつも、労働者と乗客とその家族なのだ。(バス労働者K)
 ◆ 人員不足が慢性化 未熟な運転士激増
 今のバス業界は、乗合・貸切を問わず人員不足が慢性化している。一言で言えば、魅力がないのだ。
 私の職場も同様で、3年間もの契約社員期間が最大のネックになっている。
 低賃金で重労働、接客接遇や労務管理の強化、さらに法律・罰則面でも重圧が増大するばかりのこの仕事で、ましてや非正規期間が長いとくれば、いったい誰が振り向いてくれようか。
 ◆ 事故多発の種
 過去20年間で、乗合大手はどこもかしこも分社化し、労働強化を推し進め総額人件費を下げまくった。
 その目的貫徹のために、子会社にプロパー採用した若手をあらかじめ労組から遠ざけて囲い込み、労働者同士を分断して従来型の労組を破壊した。
 公営事業者さえ、民間への業務委託という味をしめ路線再編を繰り返し、挙げ旬の果てには事業そのものを廃止して全路線を民間にぶん投げる自治体も多発した。
 しかし、こうした経緯は即ち現場における熟練者→若手へのバス運転者としての技術や心構えの継承をも断絶させた。そして、未熟で労働者意識も希薄な運転士を激増させ、その後の事故多発の種をまく結果ともなった。
 ◆ 免許制→許可制
 同じ頃、2000年に自公政権は貸切バスの需給調整規制を撤廃し、免許制から許可制にハードルを下げる規制緩和を断行した。その結果、貸切バス事業者数は約2倍の4400社に膨れ上がり、競争激化の中で経営者も労働者も運賃ダンピング→コストカットのスパイラルに巻き込まれ疲弊していった。
 そして旧来のツアー形態だけでは限界を覚えた事業者たちは、停留所無配置だが実態としては限りなく夜行高速乗合バスに近い「ツアーバス」事業に手を染め出した。
 500キロ以上の距離でも3000円以下は当たり前というバスの横行で、各地の既存乗合バス事業者とその労働者たちは大打撃を受けた。だがそれは同時に、ツアーバスのハンドルを握る受託労働者たちがより過酷な状況下に置かれている証左でもあった。
 ◆ 運賃制度も無視
 現場で直接的に安全を担保するべき個々の労働者の扱いがおざなりにされ、労働密度が過酷さを増したことで、各地で重大事故が増加する素地が広がっていくこととなる。
 こうした流れの中でその後、あずみ野観光バス死亡事故(07年)や関越道ツアーバス死亡事故(12年)などが起きた。
 さすがに国交省も事態を重く受け止め、低価格化による事業の劣化と事故多発に歯止めをかけるべく再規制が行われ、運賃が一定の適正化をされた、はずだった。
 ところが今回の軽井沢での事放が、運賃制度無視という実態の氷山の一角を露呈させた。やはり、一度ダンピングという名のシャプの味を覚えてしまった中毒事業者は、どんなに法や罰則が強化されようとも、乗客を事故に巻き込む危険性に満ちていようとも、シヤブを断てないのだ。
 でなければ、なぜ法定健診も受けさせず、まともな点呼もせず、ましてや60歳をとうに超えた経験未熟な運転士を深夜の野に放てようか?
 ◆ 蟻の一穴を開ける
 私たち労働者の日々の暮らしと労働は行き詰まっている。人員不足、低賃金。多くの者が自ずと時間外労働を余儀なくされ、疲れ果て、思考を奪われ、強化された労務管理の下、「せめて事故だけは起こすまい」と必死に無理を重ねている
 運転士、事務員、整備士の誰もが目先のことで精いっぱいだ。新人が入ってきても辞めてしまう。健康起因の欠勤者や精神疾患者も急増している。
 このままでは、近いうちにまたバスの重大事故がニュースになるだろう。しかし疲弊した私たちは、非道な政権に対してはもちろん、暴利を貧る経営者連中に対しても抗う気力、団結、連帯を持ち得ていない。忸怩(じくじ)たる思いがあるが、残念ながらこれが現実だ。
 地道に蟻の一穴を開けるつもりで仲間と意識を共有していかねばと切に感じている。

『週刊新社会』(2016/1/26)

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