《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
◆ 特別支援学校の課題:設置基準策定と教育環境改善のとりくみ
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2016年7月におきた津久井やまゆり園事件を覚えていらっしゃいますか。障害のある入所者に対して、元施設職員が「生きていても仕方がない」「安楽死させたほうがいい」という理由で19人もの殺人をおこなった事件です。私たち特別支援学校に勤める教職員は衝撃をうけました。そしてそれ以上に、子どもたちや保護者が大きなショックを受けていました。決して忘れてはならない事件です。
この事件は、到底許すことのできないことでありますが、その背景には「優生思想」というべきものがあると考えられます。「価値」のないものを切り捨てるこの「優生思想」という考え方は、はたしてこの元職員に特有のものなのでしようか。
私は、そこまで極端ではないにしろ、「優生思想」は現代の日本社会全体にふかく広く存在しているのではないかと考えています。
そして、私たち学校の教職員が、「できる、できない」「貢献できるできない」で評価をしたり、子どもたちを判断したりしていく社会をつくってしまっていないか、いつでも顧みなければならないと考えています。
◆ 特別支援学校では子どもが毎年増えている
盲学校・ろう学校・養護学校は、2007年に学校教育法で特別支援学校と位置づけられました。
その特別支援学校に通う児童生徒は毎年増え続けていて、2007年当時、全国で11万2000人ほどだったのが、2020年には14万4000人以上になっていて、全体的な少子化傾向の中でも3万2000人ほど増えていることになります(文部科学省調査より)。
その間学校数は120ほど増えていますが十分ではなく、全国的に過密過大な学校・教育環境が作られている状況です。
このことは東京の状況を見ればもっと明らかです。2007年には59校9078名だったのが、2020年には62校で12861名です(東京都教育委員会の調査)。つまり在籍児童生徒は3800人ほど増えているのに、学校は3つしか増えていないのです。
その結果、教室が足りなくなって、2クラスが一つの教室にカーテンを隔てて存在している「カーテン教室」という状況がたくさん存在します。
カーテンのこちら側で「おはよう、みんな元気?」と声をかけると、カーテンの向こう側から「元気だよ」という答えが返ってきます。
子どもたちはそれぞれの学習に集中することができません。
また、教室が足りないため、美術室や音楽室、調理室など特別教室を普通教室に転用して、専科の授業を教室でやらなければならないことも多くあり、専門的な授業が十分できません。
生徒が多いため、1年中体育の授業は体育館やグラウンド以外で行うような学校もありました。
数年前私のクラスは、校舎北側にあった更衣室を教室に変えて使っていました。
水道がなく、陽光も感じられない悪い教育環境だった上に、更衣室がなくなってしまったため、学年の他のクラスの生徒に対する日常の生活指導も十分行うことができませんでした。
通常の小中高等学校なら、教室が足りない状況はありえないでしょうし、たとえ足りなかった時があっても、プレハブなどの建設が行われることもあるでしょう。特別支援学校だから教室が足りない状況が何年も放置されていることは、許されないことです。このことも「優生思想」と根底に流れるものは一緒ではないでしょうか。
◆ 特別支援学校にだけ「学校設置基準」がない
このように特別支援学校の教育環境が劣悪なまま放置されているのは、他のすべての学校にはある「学校設置基準」が特別支援学校にだけは無いことも一つの要因です。教育環境を改善するため、「学校設観基準を策定しろ」の取り組みは10年ほど続けてきています。
文部科学省はこれまでずっと、「特別支援学校は障害種が様々なので、障害種に合わせた柔軟な対応ができるよう設置基準は設けていない」と回答し続けてきましたが、私たち全国の運動の広がりや国会で取り上げられたこともあり、ようやく「特別支援学校の教育環境を改善するため、国は特別支援学校に備えるべき施設等を定めた設置基準を策定することが求められる」と文部科学省に言わせる状況に変えさせることができました。
しかし国は作るとはしたものの、今ある劣悪な状況は放置したままの設置基準を作るような動きもあります。良い内容の設置基準をつくらせる運動が必要な状況です。
いま、全国の仲間と一緒に「設置基準策定を求める」署名を引き続きひろげていくとともに、よりよい教育環境の学校を作るための設置基準策定を求めて、それぞれの組織で特別支援学校のあるべき姿を検討したり、保護者や生徒たちの声を聞いたりしているところです。
全国の声を集めて、特別支援学校の教育環境改善の提言づくりを計画しています。
◆ 新しい生活様式が強制されるのでなく、子どもにあった学校づくりを
コロナ禍で休校中は、保護者のみなさんが生活リズムを崩さないよう努力をされて、6月に子どもたちは元気に学校に戻ってきました。しかし、子どもたちの学校での学習の様子は変わりました。
過密過大な特別支援学校は、そもそも感染リスクに備えるのも難しい状況です。
1教室に2クラスでは、子どもたちはどうしてもくっついてしまうことも多く、教員は口やかましく離れるように指示するばかりになっていることもあります。
また、今まで大切にしてきた「ふれあい、つながりあう」学習が制限を受ける場面も多いです。
今までは先生と膝を突き合わせて見ていた絵本読みは、「ディスタンス」を取らなければなりません。共感することを大切にしてきたのに、心理的にも距離を感じてしまうこともあるようです。
みんながマスクをしているので、相手の表情がわからないことも子どもたちにストレスになっているようです。
保護者の方に話を聞くと、学校が再開してから子どもたちはかえって不安定になり、自傷行為が出たり人に手が出る場面が増えたり、排泄・排便をトイレでやらなくなってしまったりすることもあるようです。
「新しい生活様式」によって一人ひとりがバラバラにされてしまいそうな今だからこそ、子どもたちが安心して学ぶことのできる教育環境の改善をすすめ、子どもたちのねがいにこたえる、子どもにあった学校づくりを模索していかなければならないと考えています。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 135号』(2020.12)
◆ 特別支援学校の課題:設置基準策定と教育環境改善のとりくみ
垣見尚哉(かきみなおや・東京都障害児学校教職員組合書記長)
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2016年7月におきた津久井やまゆり園事件を覚えていらっしゃいますか。障害のある入所者に対して、元施設職員が「生きていても仕方がない」「安楽死させたほうがいい」という理由で19人もの殺人をおこなった事件です。私たち特別支援学校に勤める教職員は衝撃をうけました。そしてそれ以上に、子どもたちや保護者が大きなショックを受けていました。決して忘れてはならない事件です。
この事件は、到底許すことのできないことでありますが、その背景には「優生思想」というべきものがあると考えられます。「価値」のないものを切り捨てるこの「優生思想」という考え方は、はたしてこの元職員に特有のものなのでしようか。
私は、そこまで極端ではないにしろ、「優生思想」は現代の日本社会全体にふかく広く存在しているのではないかと考えています。
そして、私たち学校の教職員が、「できる、できない」「貢献できるできない」で評価をしたり、子どもたちを判断したりしていく社会をつくってしまっていないか、いつでも顧みなければならないと考えています。
◆ 特別支援学校では子どもが毎年増えている
盲学校・ろう学校・養護学校は、2007年に学校教育法で特別支援学校と位置づけられました。
その特別支援学校に通う児童生徒は毎年増え続けていて、2007年当時、全国で11万2000人ほどだったのが、2020年には14万4000人以上になっていて、全体的な少子化傾向の中でも3万2000人ほど増えていることになります(文部科学省調査より)。
その間学校数は120ほど増えていますが十分ではなく、全国的に過密過大な学校・教育環境が作られている状況です。
このことは東京の状況を見ればもっと明らかです。2007年には59校9078名だったのが、2020年には62校で12861名です(東京都教育委員会の調査)。つまり在籍児童生徒は3800人ほど増えているのに、学校は3つしか増えていないのです。
その結果、教室が足りなくなって、2クラスが一つの教室にカーテンを隔てて存在している「カーテン教室」という状況がたくさん存在します。
カーテンのこちら側で「おはよう、みんな元気?」と声をかけると、カーテンの向こう側から「元気だよ」という答えが返ってきます。
子どもたちはそれぞれの学習に集中することができません。
また、教室が足りないため、美術室や音楽室、調理室など特別教室を普通教室に転用して、専科の授業を教室でやらなければならないことも多くあり、専門的な授業が十分できません。
生徒が多いため、1年中体育の授業は体育館やグラウンド以外で行うような学校もありました。
数年前私のクラスは、校舎北側にあった更衣室を教室に変えて使っていました。
水道がなく、陽光も感じられない悪い教育環境だった上に、更衣室がなくなってしまったため、学年の他のクラスの生徒に対する日常の生活指導も十分行うことができませんでした。
通常の小中高等学校なら、教室が足りない状況はありえないでしょうし、たとえ足りなかった時があっても、プレハブなどの建設が行われることもあるでしょう。特別支援学校だから教室が足りない状況が何年も放置されていることは、許されないことです。このことも「優生思想」と根底に流れるものは一緒ではないでしょうか。
◆ 特別支援学校にだけ「学校設置基準」がない
このように特別支援学校の教育環境が劣悪なまま放置されているのは、他のすべての学校にはある「学校設置基準」が特別支援学校にだけは無いことも一つの要因です。教育環境を改善するため、「学校設観基準を策定しろ」の取り組みは10年ほど続けてきています。
文部科学省はこれまでずっと、「特別支援学校は障害種が様々なので、障害種に合わせた柔軟な対応ができるよう設置基準は設けていない」と回答し続けてきましたが、私たち全国の運動の広がりや国会で取り上げられたこともあり、ようやく「特別支援学校の教育環境を改善するため、国は特別支援学校に備えるべき施設等を定めた設置基準を策定することが求められる」と文部科学省に言わせる状況に変えさせることができました。
しかし国は作るとはしたものの、今ある劣悪な状況は放置したままの設置基準を作るような動きもあります。良い内容の設置基準をつくらせる運動が必要な状況です。
いま、全国の仲間と一緒に「設置基準策定を求める」署名を引き続きひろげていくとともに、よりよい教育環境の学校を作るための設置基準策定を求めて、それぞれの組織で特別支援学校のあるべき姿を検討したり、保護者や生徒たちの声を聞いたりしているところです。
全国の声を集めて、特別支援学校の教育環境改善の提言づくりを計画しています。
◆ 新しい生活様式が強制されるのでなく、子どもにあった学校づくりを
コロナ禍で休校中は、保護者のみなさんが生活リズムを崩さないよう努力をされて、6月に子どもたちは元気に学校に戻ってきました。しかし、子どもたちの学校での学習の様子は変わりました。
過密過大な特別支援学校は、そもそも感染リスクに備えるのも難しい状況です。
1教室に2クラスでは、子どもたちはどうしてもくっついてしまうことも多く、教員は口やかましく離れるように指示するばかりになっていることもあります。
また、今まで大切にしてきた「ふれあい、つながりあう」学習が制限を受ける場面も多いです。
今までは先生と膝を突き合わせて見ていた絵本読みは、「ディスタンス」を取らなければなりません。共感することを大切にしてきたのに、心理的にも距離を感じてしまうこともあるようです。
みんながマスクをしているので、相手の表情がわからないことも子どもたちにストレスになっているようです。
保護者の方に話を聞くと、学校が再開してから子どもたちはかえって不安定になり、自傷行為が出たり人に手が出る場面が増えたり、排泄・排便をトイレでやらなくなってしまったりすることもあるようです。
「新しい生活様式」によって一人ひとりがバラバラにされてしまいそうな今だからこそ、子どもたちが安心して学ぶことのできる教育環境の改善をすすめ、子どもたちのねがいにこたえる、子どもにあった学校づくりを模索していかなければならないと考えています。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 135号』(2020.12)
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