◆ よみかき学級 (東京新聞【本音のコラム】)
「私ははたちで結婚した。ざんねんだけど、こどもができなかったので、こどもといっしょに『あいうえお』をべんきょうできなかった」
七十三歳の手島きみ子さんの文章の一節である。
彼女は学校へ行ったことがなかった。こどもがいれば、学校へ通うこどもから教えてもらって、字を読めるようになっていたかもしれない。
五歳のときに父親が死去、十二歳のときに病弱で介護していた母親が亡くなって、おばさんの家に預けられた。そこには八人の子どもがいて、子守りが専業となった。
二十二日。大阪で部落解放文学賞の授賞式があった。
会場でこの作文が入賞した手島さんとお会いした。眼のくりっとした小柄な女性で、七十歳の頃、夫が亡くなり、「識字学級」で字を学ぶ気持ちになった。
「ともだちから『よみかきにいくようになって、かおがあかるくなったね』といわれた。じぶんでもこころがあかるくなったようにおもう。じがよめるようになったし、じがかけるようになって、うきうきする」
手島さんは書いてきた受賞者挨拶(あいさつ)を緊張のせいでつっかえつっかえ読んだ。
電車に乗ることもできず、狭い地域だけで暮らしてきた。受賞の報(しら)せをうけて学校へいけなかった悔しさを思い出して眠れなかった。
非識字者の悲しみは、勉学を保障できなかった国の恥だ。
『東京新聞』(2018年7月24日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
「私ははたちで結婚した。ざんねんだけど、こどもができなかったので、こどもといっしょに『あいうえお』をべんきょうできなかった」
七十三歳の手島きみ子さんの文章の一節である。
彼女は学校へ行ったことがなかった。こどもがいれば、学校へ通うこどもから教えてもらって、字を読めるようになっていたかもしれない。
五歳のときに父親が死去、十二歳のときに病弱で介護していた母親が亡くなって、おばさんの家に預けられた。そこには八人の子どもがいて、子守りが専業となった。
二十二日。大阪で部落解放文学賞の授賞式があった。
会場でこの作文が入賞した手島さんとお会いした。眼のくりっとした小柄な女性で、七十歳の頃、夫が亡くなり、「識字学級」で字を学ぶ気持ちになった。
「ともだちから『よみかきにいくようになって、かおがあかるくなったね』といわれた。じぶんでもこころがあかるくなったようにおもう。じがよめるようになったし、じがかけるようになって、うきうきする」
手島さんは書いてきた受賞者挨拶(あいさつ)を緊張のせいでつっかえつっかえ読んだ。
電車に乗ることもできず、狭い地域だけで暮らしてきた。受賞の報(しら)せをうけて学校へいけなかった悔しさを思い出して眠れなかった。
非識字者の悲しみは、勉学を保障できなかった国の恥だ。
『東京新聞』(2018年7月24日【本音のコラム】)
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