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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

千葉:原発事故集団訴訟 全国初の本人尋問

2015年01月19日 | フクシマ原発震災
 千葉:福島原発被災者集団訴訟 千葉地裁で被害者本人の意見陳述を実現!
 1月16日10時から17時まで行われました。
 2回目の意見陳述は、千葉地裁で1月30日に行われます。
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  『東京新聞』 1月17日 2015年
 ◆ 千葉:原発事故集団訴訟 「ふるさとを返して」


 東京電力福島第一原発事故で被災し、福島県から県内などに避難する人たちが、国と東電を相手に損害賠償を求めている集団訴訟で、原告の本人尋問が16日、千葉地裁(広谷章雄裁判長)であった。原告の18世帯のうち7世帯が法廷に立ち「私たちのふるさとを返して」と強く訴えた。同様の訴訟で本人尋問は全国初。(柚木まり)
 生まれ育った福島県浪江町から習志野市へ家族で避難する男性会社員(41)は、「仲間や当たり前の生活すべてを奪われてしまった」と語った。自宅周辺は除染が進まず、放射線量を計る警報器の音が鳴りやまなかった。二人の中学生の子どもを連れて帰れる場所では無かった。
 父から継いだ会社経営者から、今は一社員として働く。千葉で新居も購入し、家族四人で暮らす。「ふるさとを思う気持ちは、避難生活が長くなるほど強くなる。明るい未来への希望を取り戻してほしい」
 福島県矢吹町の女性会社員(45)は事故後、自主的に子どもが通う小学校の運動場を測定すると、毎時1.0マイクロシーベルトを示す場所もあった。外出時はマスクを着けてなるべく外出を控えたが、2000年7月に長女(13)と長男(9つ)の尿を調べたところ、ともにセシウムを検出。「子どもの健康を考えるとここでは生活できない」。一12年3月に茂原市へ自主避難した。
 夫とともに仕事を見つけたが、収入は減り貯金も底をついた。矢吹町の自宅も買い手が付かず、住宅ローンも残った。子どもたちが新しい学校になじめなかったこともあり、昨年3月、再び矢吹町へ戻った。
 家族の人生設計が大きく乱された女性は「国や東電は、矢吹町の土壌を汚染しながら体に被害がないと一方的な判断をした。避難でとても苦しい思いをしたこと、受け止めてほしい」と述べた。
 次回の本人尋問は30日に予定されている。

『今 言論・表現の自由があぶない!』(2015/1/17)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/26863312.html
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