◆ <問題提起>8月ジャーナリズムの戦争体験聞き取り報道(学習)への疑問 (「東京新聞」コラム)
皆さま 高嶋伸欣です
重複ご容赦下さい
記事が掲載されてから日が過ぎてしまい、紹介するタイミングを逸したと思っていましたが、やはり全国の皆さんに紹介したいと考えました。
1 『東京新聞』の社外筆者による紙面批評コラム「新聞を読んで」9月16日の記事で、筆者は藤巻光浩氏(フェリス女学院大学教授)です。
2 コラムでは、この時期だけ一過性でアジア太平洋戦争を思い出す記事が増える「8月ジャーナリズム」批判の視点から、「日本人の犠牲をことさらに強調する視点で書かれた記事は、内向きの想起」を生み出して終わってしまうのではないか、と提起しています。
3 同紙が報道した元関東軍兵士や旧満州に入植した漫画家の苦難の証言報道では、「そもそも関東軍が中国大陸で何をしたのか、旧満州とはどのような存在だったのかが抜け落ち」、「入植者の視点を強く反映するため、独りよがりな戦争の記憶になりかねない」としています。
4 さらに「個人史から教訓を引き出すためには、個人史に植民地主義やレイシズム(人種主義)の歴史の中をくぐり抜けさせる必要がある。そうでなかったら、語り手や記者が意図せずとも、加害者目線の想起に陥るのではないか」と、対応策を提示しています。
5 最後に、藤巻氏は次のように集約しています。
「アジア太平洋戦争の記憶形成には、天皇制や国家神道と密接に連動した、一人一人の植民地支配への歴史的関りを省察する叙述が求められている。個人史の叙述は、一人の人間の真実に迫ることはできるが、それだけでは多くの人が共有し得る想起の方法にはならない」と。
6.「8月ジャーナリズム」に物足りなさを以前から感じていたところに、極めて分かり易い提言をされているように、私には思えます。
7 また、ジャーナリズムだけでなく、平和教育・平和運動にも通じる提言ではないかと感じましたので、『東京新聞』による首都圏以外の地域の皆さんにも、紹介したいと考えた次第です。
以上 ご参考までに。 転送・拡散は自由です。
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《新聞を読んで(『東京新聞』2018年9月16日)》
※ 8月ジャーナリズムの方法
藤巻光浩(フェリス女学院大教授)
八月はアジア太平洋戦争を思い出す記事が増える。この時季だけ反戦平和を訴えることもあるため「八月ジャーナリズム」と揶揄(やゆ)される。ここでは想起の時季にではなく、その方法に注目してみたい。
在外被爆者の中でも、北朝鮮や台湾の被爆者たちが被爆者手帳を申請することの困難を取り上げた記事(8月4日朝刊特報面)は、国籍やアイデンティティーに関係なく、救済を図る必要性を示した。
また、沖縄県宮古島での戦争マラリアの被害を記した連載「餓死の島」㊥(8月6日朝刊社会面)は、り患した軍人は補償の対象になるのに、民間人だと救済されない理不尽さを伝えている。
立場に関係なく被害者として認めるよう求める内容は、想起の方法として公正であった。
一方、日本人の犠牲をことさら強調する視点で書かれた記事は、内向きの想起でしかなく、図らずも閉じた記憶を生み出すことになる。
例えば元関東軍歩兵に取材した「20代記者が受け継ぐ戦争」(8月11日朝刊社会面)。「罪のない市民や下っ端の兵士が犠牲になる戦争は、やっぱりおかしい」との発言を引き出したが、彼の想起を歴史文脈に落とし込んでいないため、開拓民の母子を助けられなかったジレンマが、道徳を説く物語にも読めてしまう。
そもそも関東軍が中国大陸で何をしたのか、旧満州(中国東北部)とはどのような存在だったのかが抜け落ちている。
旧満州での家族の苦難の過去をつづった漫画家へのインタビュー(8月26日暮らし面)も、話を引き出す聞き方を再考してもいいのではないか。これらは入植者の視点を強く反映するため、独りよがりな戦争の記憶にもなりかねない。
個人史から教訓を引き出すためには、個人史に植民地主義やレイシズム(人種主義)の歴史の中をくぐり抜けさせる必要がある。そうでなかったら、語り手や記者が意図せずとも、加害者目線の想起に陥るのではないか。
8月15日の朝刊は、三つの海戦を生き延びた元海軍士官の証言を掲載した(1・12面)。壮絶な地獄絵図を前に家族のことが彼の頭をよぎったという。
「(メディアに)乗せられる国民の責任も重い」と発言し、国民一人一人の責任を問う一方で、「あの戦争で日本はなぜ負けたのか」と自問する元軍人の視点には強い違和感を覚えた。今もなお勝敗にこだわる思い出し方は、犠牲者への視点を欠く。
アジア太平洋戦争の記憶形成には、天皇制や国家神道と密接に連動した、一人一人の植民地支配への歴史的関わりを省察する叙述が求められている。
個人史の叙述は、一人の人間の真実に迫ることはできるが、それだけでは多くの人が共有し得る想起の方法にはならない。
※この批評は最終版を基にしています。2018・9・16
皆さま 高嶋伸欣です
重複ご容赦下さい
記事が掲載されてから日が過ぎてしまい、紹介するタイミングを逸したと思っていましたが、やはり全国の皆さんに紹介したいと考えました。
1 『東京新聞』の社外筆者による紙面批評コラム「新聞を読んで」9月16日の記事で、筆者は藤巻光浩氏(フェリス女学院大学教授)です。
2 コラムでは、この時期だけ一過性でアジア太平洋戦争を思い出す記事が増える「8月ジャーナリズム」批判の視点から、「日本人の犠牲をことさらに強調する視点で書かれた記事は、内向きの想起」を生み出して終わってしまうのではないか、と提起しています。
3 同紙が報道した元関東軍兵士や旧満州に入植した漫画家の苦難の証言報道では、「そもそも関東軍が中国大陸で何をしたのか、旧満州とはどのような存在だったのかが抜け落ち」、「入植者の視点を強く反映するため、独りよがりな戦争の記憶になりかねない」としています。
4 さらに「個人史から教訓を引き出すためには、個人史に植民地主義やレイシズム(人種主義)の歴史の中をくぐり抜けさせる必要がある。そうでなかったら、語り手や記者が意図せずとも、加害者目線の想起に陥るのではないか」と、対応策を提示しています。
5 最後に、藤巻氏は次のように集約しています。
「アジア太平洋戦争の記憶形成には、天皇制や国家神道と密接に連動した、一人一人の植民地支配への歴史的関りを省察する叙述が求められている。個人史の叙述は、一人の人間の真実に迫ることはできるが、それだけでは多くの人が共有し得る想起の方法にはならない」と。
6.「8月ジャーナリズム」に物足りなさを以前から感じていたところに、極めて分かり易い提言をされているように、私には思えます。
7 また、ジャーナリズムだけでなく、平和教育・平和運動にも通じる提言ではないかと感じましたので、『東京新聞』による首都圏以外の地域の皆さんにも、紹介したいと考えた次第です。
以上 ご参考までに。 転送・拡散は自由です。
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《新聞を読んで(『東京新聞』2018年9月16日)》
※ 8月ジャーナリズムの方法
藤巻光浩(フェリス女学院大教授)
八月はアジア太平洋戦争を思い出す記事が増える。この時季だけ反戦平和を訴えることもあるため「八月ジャーナリズム」と揶揄(やゆ)される。ここでは想起の時季にではなく、その方法に注目してみたい。
在外被爆者の中でも、北朝鮮や台湾の被爆者たちが被爆者手帳を申請することの困難を取り上げた記事(8月4日朝刊特報面)は、国籍やアイデンティティーに関係なく、救済を図る必要性を示した。
また、沖縄県宮古島での戦争マラリアの被害を記した連載「餓死の島」㊥(8月6日朝刊社会面)は、り患した軍人は補償の対象になるのに、民間人だと救済されない理不尽さを伝えている。
立場に関係なく被害者として認めるよう求める内容は、想起の方法として公正であった。
一方、日本人の犠牲をことさら強調する視点で書かれた記事は、内向きの想起でしかなく、図らずも閉じた記憶を生み出すことになる。
例えば元関東軍歩兵に取材した「20代記者が受け継ぐ戦争」(8月11日朝刊社会面)。「罪のない市民や下っ端の兵士が犠牲になる戦争は、やっぱりおかしい」との発言を引き出したが、彼の想起を歴史文脈に落とし込んでいないため、開拓民の母子を助けられなかったジレンマが、道徳を説く物語にも読めてしまう。
そもそも関東軍が中国大陸で何をしたのか、旧満州(中国東北部)とはどのような存在だったのかが抜け落ちている。
旧満州での家族の苦難の過去をつづった漫画家へのインタビュー(8月26日暮らし面)も、話を引き出す聞き方を再考してもいいのではないか。これらは入植者の視点を強く反映するため、独りよがりな戦争の記憶にもなりかねない。
個人史から教訓を引き出すためには、個人史に植民地主義やレイシズム(人種主義)の歴史の中をくぐり抜けさせる必要がある。そうでなかったら、語り手や記者が意図せずとも、加害者目線の想起に陥るのではないか。
8月15日の朝刊は、三つの海戦を生き延びた元海軍士官の証言を掲載した(1・12面)。壮絶な地獄絵図を前に家族のことが彼の頭をよぎったという。
「(メディアに)乗せられる国民の責任も重い」と発言し、国民一人一人の責任を問う一方で、「あの戦争で日本はなぜ負けたのか」と自問する元軍人の視点には強い違和感を覚えた。今もなお勝敗にこだわる思い出し方は、犠牲者への視点を欠く。
アジア太平洋戦争の記憶形成には、天皇制や国家神道と密接に連動した、一人一人の植民地支配への歴史的関わりを省察する叙述が求められている。
個人史の叙述は、一人の人間の真実に迫ることはできるが、それだけでは多くの人が共有し得る想起の方法にはならない。
※この批評は最終版を基にしています。2018・9・16
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