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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

連載:「国旗」をデザインしてみたら(7)

2008年10月10日 | 人権
 <シリーズあの時>
 ☆ 「国旗」をデザインしてみたら(7)

遠藤 勝

 この間「三鷹の教育を考える会」のメンバーも情報公開請求をして,私が個人情報開示請求で得ていたものと,新たに開示されたものとを比較検討してみたりもした。
 毎月1~2回の「考える会」では,各々がいろいろなアイディアを出し合って「ワイワイガヤガヤ」できそうなこと,やってみたらおもしろそうなことに取り組んだ。
 処分撤回や慰謝料請求などを求めて提訴してはどうかとの意見を踏まえて,教育問題にかかわっている弁護士事務所を訪ねたり,「考える会」と弁護士さんとの意見交換の場をもったりもした。
 一方,日教組第49次教育研究全国集会の美術教育分科会のリポートが冊子になって届いた。
 私のリポートには,資料1として「1999年7月23日の朝日新聞の記事」,資料2として「8月3日の沖縄タイムスの記事」を入れておいた。しかし,その写真掲載のページは「個人情報なので糊付けをすることになった」と,日教組から東京教組を通じて伝えられた。年末年始の忙しい折り,なぜなのかの説明も理由も明らかにされないばかりか,こちらからの質問もできないまま,押し切られた。

 季節はうつり春。朝日新聞阪神支局襲撃事件を契機に連載されている「『みる・きく・はなす』はいま」という特集記事の取材をしている記者の訪問を受けた。

 2000年3月の国立二小の卒業式や日の丸・君が代について,いろいろと話しているうちに,この特集をすすめているデスクが「私が国旗を描くなら」の記事をまとめた記者と同一の人だということがわかった。そして今回の特集で,記事掲載後の私への圧力や処分をとりあげたいとの編集方針となり,何回かにわたって取材を受けることになった。
 2000年4月30日。朝日新聞朝刊。「みる・きく・はなす」はいま 第22部「授業が記事に教諭処分『私の国旗描こう』波紋」との大きな活字でのタイトル。イラスト入り7段組。紙面の四分の一にもなる大きな記事が掲載された。
 その記事の中で初めて知ることができたものがあった。その部分だけを新聞から転載すると「(略)記事には『都内の小字校』と書いてあるだけだった。『調査』を指示したのは,東京都教委指導部初等教育指導課の池田芳和・主任指導主事(現課長)。記事が出た直後,都内の各教委の幹部が集まった席だった。三鷹市教委はその指示を,校長会で下ろした。(中略)都教委に1枚の書類がある。今回の問題で,授業内容が学習指導要領から逸脱していないか検討した文書だ。結論は書かれていない。問題があったとも書いていない。池田課長自身,「許容範囲だった」と話す。だが結局,校長の知らないうちに新聞に出たのなら好ましくない,と判断したという。(以下略)」というのだった。
 (続)

『ほっととーく 68』より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
〒176-0012 練馬区豊玉北5-17-7-303 サポートねりまねりま全労協気付
郵便振替:00140-6-517545 加入者名:声をあげる市民の会


「シリーズあの時」全8回連載
 過去の記事は、"「国旗」をデザインしてみたら"で、ブログ内検索してみて下さい。

「国旗」をデザインしてみたら(1)<リンク>
「国旗」をデザインしてみたら(2)<リンク>
「国旗」をデザインしてみたら(3)<リンク>
「国旗」をデザインしてみたら(4)<リンク>
「国旗」をデザインしてみたら(5)<リンク>
「国旗」をデザインしてみたら(6)<リンク>

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