★ 12月4日(日)13:30~ 明治大学・アアカデミーホール(お茶の水キャンパス)
日本の「近代」と「戦後民主主義」-戦後つくられた「福沢諭吉神話」-
◆ 雁屋哲『まさかの福沢諭吉』は、いじめ予防のテキストとしても最適!
皆さま 高嶋伸欣です
『まさかの福沢諭吉』は読めば読むほど、教育現場を勇気づけ、支えてくれる本です。実は、私自身も同書に目を通せたのが昨日でした。間際になりましたが、改めて明日4日(日)午後1時半からの「福沢諭吉批判大規模研究会」への誘いを兼ねて、雁屋版福沢諭吉批判コミックの紹介をさせて頂きます。
1.何よりも現場教員の皆さんを勇気づけてくれているのが、冒頭から授業内容に抗議し教員の処罰、解雇まで申し入れてきた「父母(保護者)会有志」に対して、教員が怯むことなく、それなら福沢諭吉についての公開の勉強会をしましょう、ということでその後の設定を方向付けていることです。
2.最近の学校教育に対しては「政治的中立」ばかり強調され、人権や憲法の理念に準拠という大原則は脇に押しやられている観があります。加えて授業内容に保護者や校内の管理職などによる干渉も増加している気配です。
授業による履修・修得結果に対する成績評価権は個々の教員にあって、これに校長も介入することはできません。
3.その根本に当たる授業内容についての不当な圧力に対処しようとする教員を、生徒自身や多数の保護者が支えている様子を描き切っているのが、『まさかの福沢諭吉』です。
現場教員の皆さんを勇気づけてくれる作品です。
その著者・雁屋さんの思いを直接聞けるのが、明日4日の「大規模研究会」です。雁屋さんは、冒頭と後半と2度登壇して、3人の中では最も多くの時間を割り当てられています(それでも話だすと止まらないのが雁屋さんだうですので、司会としては気がもめそうです)。
4 それにしても、作品の舞台となる「私立善和学園高等部・2年C組」の多様な生徒たちの個性が生き生きと描き出されているのは、驚きです。
特に普段はほとんど発言しない生徒が、思い切って挙手し、整然と意見を述べたところ、同級生も保護者も賛同し、議論が一気に進むという場面は象徴的です。
5 思春期の生徒が、大人を交えた議論にも参加できる力をつけたことをどのように周囲に気付いてもらうか。生徒たちが苦労して神経を使いながらそうした場面を作り出す場に、私たち教員は何度も立ち会っています。
同級生が「あいつは変わった」「大人になった」「今までと違う」と、認めたことが分かり、ほっとしたり、照れ臭そうにしている当人の様子をうれしく見つめた時のことを、私は懐かしく思い出しています。
雁屋さんは教員経験があるのでしょうか?
司会として、ぜひ皆さんの前で質問しようと思っています。
6 それにもう一件、この遠慮がちな生徒の発言が、一つの議論に決着をつけた場面に、私は注目しています。
『まさかの福沢諭吉』(下)131~138ページです。諭吉が中国・朝鮮の人々侮蔑する暴言を展開した件は、その多くが「漫言」というタイトルの文章でのことだから、「一種の冗談、軽口にすぎない」「真剣な分析の対象にすべきでない」と、福沢擁護派の保護者が次々と主張していた場面です。
7 そこへ挙手して発言の機会をまた求めた生徒は次のように発言しています。
「私は自分で経験しているですが、とてもひどいことを言われたことがあるんです。そのとき、あっと思って何か言いかえさなければ思っても、とっさには何も言えません」
「その時の態度を見て相手は『あ、今のは冗談、しゃれだよ、しゃれ、しゃれ』と言って周りの仲間と一緒に笑って終わりです」
「でも私にはわからないんです。どうして人の心を傷つけることを言っておいてそれを『洒落だよ』と笑ってすませてしまうことが、できるのか」と。
8 これに同級生たちが
「すごい、いつもはあまり自分の意見を主張しない石川さんがーーー」
「みごとだわ」
「しっかりしているぜ、見直したよ」などと次々サポート発言をしています。
9 石川さんが「福沢諭吉も、漫言、という言葉を使うには、自分の言ったことを批判されたときに あれは冗談だよというための言い逃れだと思います」と指摘しそれに、多くの賛成意見が続きます。
そこで「漫言」も分析の対象にすることで議論は決着し、話は先に進みます。
10 私がここで注目したのは、上記7の石川さんの発言部分です。
「自分で経験しているのですが」という説明から、現在の「いじめ」の多くもこうした悪ふざけや冗談めかした不用意な発言が契機になっているのではないかと、連想されます。それがどれだけ言われた側を傷つけ深刻な影響を与えているのかということと同時に、冗談めかしてごまかすことがどれだけ卑劣なこなのか。
現代の「いじめ」の問題点を、雁屋さんはこの場面で如実に描き出しています。
11 全国の教育委員会や文科省が、この場面の部分を抜き出した副教材を作成して、すべての中学・高校生に渡して教室で議論し、家庭でも家族で話し合う素材に活用するならば、大きな効果が期待できます。
12 その意味でも、『まさかの福沢諭吉』を手に取って見ることのできる4日(日)13時半からの「福沢諭吉批判大規模研究会」に、中学生・高校生同伴で是非ご参加下さい。現職の教員の皆さんももちろんです。
*なお、『まさかの福沢諭吉』の会場販売分は輸送手段の都合などで数量に限りがありますが、万一会場販売分が完売となった場合には、会場価格(上下セットで3000円に送料込み)で出版元から直送の注文を受ける用意がされているとのことです。
今回も文責は高嶋です。 拡散・転送は大歓迎です
日本の「近代」と「戦後民主主義」-戦後つくられた「福沢諭吉神話」-
◆ 雁屋哲『まさかの福沢諭吉』は、いじめ予防のテキストとしても最適!
皆さま 高嶋伸欣です
『まさかの福沢諭吉』は読めば読むほど、教育現場を勇気づけ、支えてくれる本です。実は、私自身も同書に目を通せたのが昨日でした。間際になりましたが、改めて明日4日(日)午後1時半からの「福沢諭吉批判大規模研究会」への誘いを兼ねて、雁屋版福沢諭吉批判コミックの紹介をさせて頂きます。
1.何よりも現場教員の皆さんを勇気づけてくれているのが、冒頭から授業内容に抗議し教員の処罰、解雇まで申し入れてきた「父母(保護者)会有志」に対して、教員が怯むことなく、それなら福沢諭吉についての公開の勉強会をしましょう、ということでその後の設定を方向付けていることです。
2.最近の学校教育に対しては「政治的中立」ばかり強調され、人権や憲法の理念に準拠という大原則は脇に押しやられている観があります。加えて授業内容に保護者や校内の管理職などによる干渉も増加している気配です。
授業による履修・修得結果に対する成績評価権は個々の教員にあって、これに校長も介入することはできません。
3.その根本に当たる授業内容についての不当な圧力に対処しようとする教員を、生徒自身や多数の保護者が支えている様子を描き切っているのが、『まさかの福沢諭吉』です。
現場教員の皆さんを勇気づけてくれる作品です。
その著者・雁屋さんの思いを直接聞けるのが、明日4日の「大規模研究会」です。雁屋さんは、冒頭と後半と2度登壇して、3人の中では最も多くの時間を割り当てられています(それでも話だすと止まらないのが雁屋さんだうですので、司会としては気がもめそうです)。
4 それにしても、作品の舞台となる「私立善和学園高等部・2年C組」の多様な生徒たちの個性が生き生きと描き出されているのは、驚きです。
特に普段はほとんど発言しない生徒が、思い切って挙手し、整然と意見を述べたところ、同級生も保護者も賛同し、議論が一気に進むという場面は象徴的です。
5 思春期の生徒が、大人を交えた議論にも参加できる力をつけたことをどのように周囲に気付いてもらうか。生徒たちが苦労して神経を使いながらそうした場面を作り出す場に、私たち教員は何度も立ち会っています。
同級生が「あいつは変わった」「大人になった」「今までと違う」と、認めたことが分かり、ほっとしたり、照れ臭そうにしている当人の様子をうれしく見つめた時のことを、私は懐かしく思い出しています。
雁屋さんは教員経験があるのでしょうか?
司会として、ぜひ皆さんの前で質問しようと思っています。
6 それにもう一件、この遠慮がちな生徒の発言が、一つの議論に決着をつけた場面に、私は注目しています。
『まさかの福沢諭吉』(下)131~138ページです。諭吉が中国・朝鮮の人々侮蔑する暴言を展開した件は、その多くが「漫言」というタイトルの文章でのことだから、「一種の冗談、軽口にすぎない」「真剣な分析の対象にすべきでない」と、福沢擁護派の保護者が次々と主張していた場面です。
7 そこへ挙手して発言の機会をまた求めた生徒は次のように発言しています。
「私は自分で経験しているですが、とてもひどいことを言われたことがあるんです。そのとき、あっと思って何か言いかえさなければ思っても、とっさには何も言えません」
「その時の態度を見て相手は『あ、今のは冗談、しゃれだよ、しゃれ、しゃれ』と言って周りの仲間と一緒に笑って終わりです」
「でも私にはわからないんです。どうして人の心を傷つけることを言っておいてそれを『洒落だよ』と笑ってすませてしまうことが、できるのか」と。
8 これに同級生たちが
「すごい、いつもはあまり自分の意見を主張しない石川さんがーーー」
「みごとだわ」
「しっかりしているぜ、見直したよ」などと次々サポート発言をしています。
9 石川さんが「福沢諭吉も、漫言、という言葉を使うには、自分の言ったことを批判されたときに あれは冗談だよというための言い逃れだと思います」と指摘しそれに、多くの賛成意見が続きます。
そこで「漫言」も分析の対象にすることで議論は決着し、話は先に進みます。
10 私がここで注目したのは、上記7の石川さんの発言部分です。
「自分で経験しているのですが」という説明から、現在の「いじめ」の多くもこうした悪ふざけや冗談めかした不用意な発言が契機になっているのではないかと、連想されます。それがどれだけ言われた側を傷つけ深刻な影響を与えているのかということと同時に、冗談めかしてごまかすことがどれだけ卑劣なこなのか。
現代の「いじめ」の問題点を、雁屋さんはこの場面で如実に描き出しています。
11 全国の教育委員会や文科省が、この場面の部分を抜き出した副教材を作成して、すべての中学・高校生に渡して教室で議論し、家庭でも家族で話し合う素材に活用するならば、大きな効果が期待できます。
12 その意味でも、『まさかの福沢諭吉』を手に取って見ることのできる4日(日)13時半からの「福沢諭吉批判大規模研究会」に、中学生・高校生同伴で是非ご参加下さい。現職の教員の皆さんももちろんです。
*なお、『まさかの福沢諭吉』の会場販売分は輸送手段の都合などで数量に限りがありますが、万一会場販売分が完売となった場合には、会場価格(上下セットで3000円に送料込み)で出版元から直送の注文を受ける用意がされているとのことです。
今回も文責は高嶋です。 拡散・転送は大歓迎です
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