◆ 噴飯ものの『日本国紀』
百田尚樹の考え方を批判する (週刊新社会)
◆ 参考文献もあげない歴史書?
日本史史研究について専門的な訓練を受けた人であっても、日本通史を書ける人はほとんどいないと言っていい。
中世史が専門で博学であった網野善彦は、一九九七年に岩波新書から『日本社会の歴史』(上・中、下)と題する、日本通史の本を刊行しているが、「むすびにかえて」の中で、近代以降の歴史が重視されている現在、「それをほとんど欠落した本書のようなものを公刊すること自体に、御批判があることも十分に予想しうる」、と述べている。実際、この本は近代以降が手簿な叙述に終わつていて、先の言葉は学者としての誠実な反省の弁であろう。
網野差彦のような碩学でさえ、そうなのだ。ましてや日本史研究の訓練も受けていないと思われる人物が、通史など書けるはずがなく、そのことは当たり前すぎるほどのことだが、なんと百田尚樹は書いたのだ!
◆ 反動的な見解を埋め込む
そのことを思ってみても、『日本国紀』がどういう本か、どの程度の本かがわかるだろう。
まず、これが一応学術的な歴史書を装っているらしい本なのに、巻末等に引用・参考文献等が一切挙げられていないことに、読者は驚かなければならない。そんな歴史書があるだろうか、と。
そのことと闘連して、著者の百田尚樹は第一次史料をほんの少しでも読んだのだろうか、と疑問に思わざるを得ない。
おそらく、近代以降のものはともかく、それ以前の歴史については、史料はまったく読まず(読めず)、日本通史の概説書を何冊か読んで、著者はそれなりの通史のアウトラインを自分流に描き、そのなかに自らが抱懐している稚拙で反動的な見解を所々に埋め込んだのが、この『日本国紀』である。
だから史実は、その拙劣な政治的見解に合うように、都合よくねじ曲げられている。
◆ 関東大震災でも印象操作をする
例えば、関東大震災で流言飛語やデマによって朝鮮人が虐殺されたということについて、「この話には虚偽が含まれている」という言い方をして、「一部の朝鮮人が殺人・暴行」、等を行ったのだ、と語られている。
注意したいのは、どこが虚偽なのかは言わないことによって、あたかも、この「話」のすべてが「虚偽」であるかのような印象を与えようとし、また、「一部の朝鮮人」の暴行等(この指摘自体が怪しい)をことさら言うことによって、朝鮮人全体がそうであったかのように、これも印象操作をしているのだ。
さらに朝鮮人に対しての強制連行など無く、朝鮮人が自発的に日本に来たがったのだと言うのである。これらの指摘についても、一切、史料が示されていない。
そして百田尚樹は、甘粕憲兵大尉による、大杉栄、伊藤野枝たちの虐殺には触れないのである。
さらには、悪法の代名詞とも言える治安維持法の成立についても、まったく触れていない。
これらは日本近代史を語る際には、必ず一言及しなければならない事柄であるのに、である。
自分の政治的見解にとって都合の悪い史実は、語らないというわけである。
◆ 史実の捏造がいたるところに
また、満州事変に関してのリットン調査団の報告について、百田尚樹は、「満州事変には相応の発生事由があった」と報告したとする。
だが、リットン調査団の報告書は、事変の発端となった柳条湖事件を正当な軍事行動と認めていず、「満州国」建国は中国人の自発的な運動ではないとしたのだ。
しかし、百田尚樹はそれらのことをぼやかして、「調査団は日本による満州国建国は認めず」とだけ述べて、リットン調査団の方に瑕疵(かし)があったかのように語るのである。
◆ 昭和天皇の戦争責任 免罪するための表現
日本はこの事変から「一五年戦争」に入っていくが、百田尚樹は、昭和天皇裕仁は「御前会議の場でも(略)自らの意見を口にすることはなかった」と語る。
戦争責任について裕仁を免罪するためにそう言っているのだが、「二・二六事件」であれだけ果断であった裕仁が、戦争政策をめぐる御前会議で無□であったはずがないではないか。
彼の発言は、当時の侍従たちの日記からも実証されている。
また史実の捏造は、60年安保で反対デモの学生たちは、「日本社会党や日本共産党に踊らされていただけの存在であった」というところにもある。
安保闘争を牽引した学生たちは反日共系の組織に所属していたのだが、そういう嘘を語るのだ。
『永遠の0』もデマゴキーからなる物語だったが、『日本国紀』はそれを上回る本である。これが65万部も売れているという。
現代日本人の判断力は劣化したのか。あげつらうのも馬鹿らしい本だが、売れ行きをみると、噴飯ものの本であつても、やはり一々反論しなければならない。
『週刊新社会』(2019年7月2日)
百田尚樹の考え方を批判する (週刊新社会)
ノートルダム清心女子大教授 綾目広治
◆ 参考文献もあげない歴史書?
日本史史研究について専門的な訓練を受けた人であっても、日本通史を書ける人はほとんどいないと言っていい。
中世史が専門で博学であった網野善彦は、一九九七年に岩波新書から『日本社会の歴史』(上・中、下)と題する、日本通史の本を刊行しているが、「むすびにかえて」の中で、近代以降の歴史が重視されている現在、「それをほとんど欠落した本書のようなものを公刊すること自体に、御批判があることも十分に予想しうる」、と述べている。実際、この本は近代以降が手簿な叙述に終わつていて、先の言葉は学者としての誠実な反省の弁であろう。
網野差彦のような碩学でさえ、そうなのだ。ましてや日本史研究の訓練も受けていないと思われる人物が、通史など書けるはずがなく、そのことは当たり前すぎるほどのことだが、なんと百田尚樹は書いたのだ!
◆ 反動的な見解を埋め込む
そのことを思ってみても、『日本国紀』がどういう本か、どの程度の本かがわかるだろう。
まず、これが一応学術的な歴史書を装っているらしい本なのに、巻末等に引用・参考文献等が一切挙げられていないことに、読者は驚かなければならない。そんな歴史書があるだろうか、と。
そのことと闘連して、著者の百田尚樹は第一次史料をほんの少しでも読んだのだろうか、と疑問に思わざるを得ない。
おそらく、近代以降のものはともかく、それ以前の歴史については、史料はまったく読まず(読めず)、日本通史の概説書を何冊か読んで、著者はそれなりの通史のアウトラインを自分流に描き、そのなかに自らが抱懐している稚拙で反動的な見解を所々に埋め込んだのが、この『日本国紀』である。
だから史実は、その拙劣な政治的見解に合うように、都合よくねじ曲げられている。
◆ 関東大震災でも印象操作をする
例えば、関東大震災で流言飛語やデマによって朝鮮人が虐殺されたということについて、「この話には虚偽が含まれている」という言い方をして、「一部の朝鮮人が殺人・暴行」、等を行ったのだ、と語られている。
注意したいのは、どこが虚偽なのかは言わないことによって、あたかも、この「話」のすべてが「虚偽」であるかのような印象を与えようとし、また、「一部の朝鮮人」の暴行等(この指摘自体が怪しい)をことさら言うことによって、朝鮮人全体がそうであったかのように、これも印象操作をしているのだ。
さらに朝鮮人に対しての強制連行など無く、朝鮮人が自発的に日本に来たがったのだと言うのである。これらの指摘についても、一切、史料が示されていない。
そして百田尚樹は、甘粕憲兵大尉による、大杉栄、伊藤野枝たちの虐殺には触れないのである。
さらには、悪法の代名詞とも言える治安維持法の成立についても、まったく触れていない。
これらは日本近代史を語る際には、必ず一言及しなければならない事柄であるのに、である。
自分の政治的見解にとって都合の悪い史実は、語らないというわけである。
◆ 史実の捏造がいたるところに
また、満州事変に関してのリットン調査団の報告について、百田尚樹は、「満州事変には相応の発生事由があった」と報告したとする。
だが、リットン調査団の報告書は、事変の発端となった柳条湖事件を正当な軍事行動と認めていず、「満州国」建国は中国人の自発的な運動ではないとしたのだ。
しかし、百田尚樹はそれらのことをぼやかして、「調査団は日本による満州国建国は認めず」とだけ述べて、リットン調査団の方に瑕疵(かし)があったかのように語るのである。
◆ 昭和天皇の戦争責任 免罪するための表現
日本はこの事変から「一五年戦争」に入っていくが、百田尚樹は、昭和天皇裕仁は「御前会議の場でも(略)自らの意見を口にすることはなかった」と語る。
戦争責任について裕仁を免罪するためにそう言っているのだが、「二・二六事件」であれだけ果断であった裕仁が、戦争政策をめぐる御前会議で無□であったはずがないではないか。
彼の発言は、当時の侍従たちの日記からも実証されている。
また史実の捏造は、60年安保で反対デモの学生たちは、「日本社会党や日本共産党に踊らされていただけの存在であった」というところにもある。
安保闘争を牽引した学生たちは反日共系の組織に所属していたのだが、そういう嘘を語るのだ。
『永遠の0』もデマゴキーからなる物語だったが、『日本国紀』はそれを上回る本である。これが65万部も売れているという。
現代日本人の判断力は劣化したのか。あげつらうのも馬鹿らしい本だが、売れ行きをみると、噴飯ものの本であつても、やはり一々反論しなければならない。
『週刊新社会』(2019年7月2日)
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