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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

いじめ解決には、保護者や地域の住民がレインマンコントロールを使って本来の教育委員会にしなければ

2019年07月07日 | こども危機
 ◆ むしろ必要ない。いじめを隠蔽し放置する教育委員会の存在意義 (MAG2 NEWS)
   by 阿部泰尚『伝説の探偵』

(文部科学省初等中等教育局企画課ホームページより引用)

 日本各地で続々と明るみになる、教育委員会によるいじめの隠蔽や放置。本来子供たちを守るために存在するべき教育委が、自らの保身に走り機能不全となっているのなら、その存在意義はもはや無に等しいと言っても過言ではありません。これまで数々いじめメ問題を解決してきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは今回のメルマガ『伝説の探偵』で、多くの教育委が抱える問題を白日の下に晒すとともに、今こそ保護者や地域住民が彼らを「本来の機能を満たす組織」にすることが必要との見方を示しています。
 ◆ 教育委員会不要論が再発
 大阪市吹田市いじめ放置事件では、被害保護者による学校への不信感や教育委員会とは一体なんなのかというコメントが発表された。
 第三者委員会の報告書においても、教育委員会の対応について厳しい指摘があった。
 埼玉県川口市いじめ多重重大事件においては、訴訟となっているが、川口市教育委員会は提出するべき資料などを提出しなかったり、裁判所との約束をも守らないことで問題になっている。
 山梨県北杜市の教育委員会は第三者委員会を黒塗りで被害側に合意を得ようとするなど、その対応が問題となっていた。
 今やいじめの被害者の多くは教育委員会への不信感、そもそもの存在としての意味すら疑いたくなるような事態となっている。
 ◆ 教育委員会とレイマンコントロール

 では、そもそも教育委員会とは何か。

 教育委員会とは、教育の政治的中立性地域住民の意向の反映、子供たちの安全や教育の持続継続性というのが名目になっている。
 委員会は知事や市区町村長に任命され議会で承認された教育委員と教育長で構成され、その下に事務局として教育委員会の職員がいる。
 この構成は、「レイマンコントロール」と言い、専門的な行政官の上に、専門外の住民がいて指揮監督しているということになるが、これは主に教育の政治的中立性や地域住民の意向の反映を目的としているというのが建前だ。
 もちろん、こうした機能が有効に動いている教育委員会もあるだろう。しかし、前述の教育委員会のように、いじめを隠蔽したり、放置したり、封建的で強制的な権限を行使してしまう問題も発生している。
 例えば、教育長の任命は知事や市町村長が行うが、よほどの問題がない限りは議会が反対をすることはないであろう。ほとんどは議会承認は通過儀礼のようなもので、市民が望むような何か特別なチェック機能が存在しているわけではない。
 そして、教育長の多くは教育委員会の関係者なのであり、教育委員も元教員などレインマンコントロールの考えとは程遠いのである。
 教育委員は一般住民であっても、毎日勤務するわけではなく、必要な折に会議に出る程度であり、日常的な業務や発生した問題の資料は事務局が担当する。
 つまりは、事務局が意図的に資料を作れば、教育委員は意図的な資料から物事を判断せざるを得ない。
 これでは、責任の所在もわからず、ましてやレインマンコントロールの理念は実現されることはないであろう。
 政治や制度が何かに担保したいのはわかるが、形骸化した仕組み不正と横暴な権力の道具になりやすいのであり、特にいじめや不登校などの問題に対応するにはこの制度では現実問題に沿わないものになってしまっている。
 ◆ 責任の所在不明 「何に頭を下げているのだ!」

 人の所在調査は探偵の専門であるが、いじめ問題の責任の所在はあちらこちらにある。記者会見などを見ていると、その地域の教育長らが頭を下げているが、私が知る多くの被害者には、謝罪をしに来てはいない
 だから、被害者の多くは、記者会見で教育長らが頭を下げるシーンを見て、一体何に頭を下げているのだ!と憤ってしまうのだ。
 私は教育長らが記者会見で頭を下げるのは、最も被害を受けたいじめの被害者やその保護者への謝罪の意味は毛頭なく、世間とメディア、自らの保身において、45度の角度で10秒間ほど頭を下げるのが恒例の儀式になっているからだと思っている。
 それをすれば、事件に直接関係のない人々は、こうやって謝っているのだからと深くは考えないと思っているのだろう。
 また、レイマンコントロールの組織構成がある以上、教育委員会自体の責任の所在は見えづらくなってくる。市長などの長も同じで、被害者の子どもたちの声は直接届かない仕組みが出来上がっているのだ。
 東京都内のある区で、私は教育長に直接面会をする機会を与えられ、そこで、区内の小学校で起きたいじめ事件と学校対応や教育委員会指導主事による到底対策を進めるとは考えられない対応を直訴したことがある。
 その際、最も慌てていたのは、教育指導課の課長であった。
 彼は教育委員会の事務方であり、こうした対応においては指揮する立場であった。教育長は私が証拠の写真などを持参したので、自分が受けていた報告とあまりにかけ離れた状態を目にして、事務方からの報告を見直すようにその場で指示していた。
 つまりは、事務局側が虚偽の報告を上げていたのであり、誤った認識が教育委員会内にあったということだ。
 ◆ 本来の目的を見失った教育委員会など不要

 いじめをゼロで報告する教育委員会はまだある。

 国立教育政策研究所の統計によれば、小学4年生から中学3年生の6年間、一度もいじめの被害や加害行為に加担していない児童生徒の割合は10.9%に過ぎない。
 いじめがゼロだったという学校は、奇跡に近い存在だと言わざるを得ないのだ。
 昨年度、文部科学省が把握していたいじめの総数は41万件であった。その前の年は30万件、それまでは21万件前後であった。
 これは、文科省教育委員会へいじめの定義を守って、ちゃんと報告してくださいと指導し続けていたのが数字として現れてきたのが主要素である。
 つまり、それまではいじめであるのに、いじめとして認知されもしなかった件が数十万件もあったということだ。これはもはや隠蔽が盛んに行われていたことを意味する。
 また、前述のように子どもの生命に関わる重大ないじめを放置したり、その事実を隠蔽しようとする教育委員会もある。
 子どもの安全やいじめの対応も重要な教育委員会の機能の1つである。レインマンコントロールが機能せず、問題に対応できない本来の目的を失った教育委員会など不要である。
 一方で、目的を遂行し、存在が機能し、発展的な教育委員会は必要なのである。

 ◆ もはや国や法律の出番なのか

 世間では、文部科学省が教育委員会より上だという認識がある。

 しかし、現実、教育委員会は独立した組織であり、文科省の指導はアドバイス程度にしか考えてはいない。
 一方で、国があまりに力を持ち過ぎれば、教育の偏りの懸念も生じる
 だから、一概に国が出張るというのは極論なのだが、各地方の教育委員会があまりに酷いのであれば、そのあり方も含めどこかがまとめを作っていく必要が出てくるだろう。
 そのための法律改正なども必要となってくるであろうが、以前、いじめ防止対策推進法改正案で文教族のトップである馳議員の試案のように、骨抜きのザル法ができてしまう懸念もある。
 こうした動きは校長会や教育委員会、教職員の組合が政治的な動きに敏感であり、いざとなれば、改正案を骨抜きにしたり、後退させる事もできるという事であり、法改正や新たな法は危険を伴っているのだ(もはや今期にいじめ法改正案は出ないであろうというのが大方の予測である)。
 すると、どうか?

 これは私の個人的な意見でもあるが、今こそ保護者や地域の住民が、それこそ、レインマンコントロールを使い、本来の教育委員会にすることが現実的なのではないだろうか。
 何処かの誰かにヒーローになってもらう必要はない、我が子のこと、地域で見ている子どもたちのこと、大人がもっと真剣に向き合って、行動を示してこそ、真の教育が実現できるのではないかと思う。
 ◆ 編集後記 忘れてならない「被害者は子供」

 阿部は、いじめ探偵は、教育界の敵である。

 このように言う教育界の方々もいます。きっと何かやましいことがあるのでしょうね。
 一方で、私を家庭教育講座の講師に招いたり、講演を依頼する方々もいます。教育界も広く、人もたくさんいますから、考え方はそれぞれなんですね。
 私の立場を表明すれば、私はフラットな立場であることを前提に考えています。事実を調べ、冷静に判断するためには、どちらかに肩入れをしていてはできません。
 調査自体が無償であることも、金員的な利害関係を持たないということで、私は何かにコントロールされることはありません。
 ですから、目的遂行行動をしていて教育管理や運営としての存在が機能している教育委員会は必要だと最後に記しました。
 例えば、広島県教育委員会の平川教育長は市立中学校の民間校長出身ですが、オランダのイエナプランを研究したり、県内すべての学校を視察するなど、斬新な行動を取っています。
 市立中学校の校長時代も、不登校の生徒が自由に通えるプランを打ち立てたりと、それまでの教育界では想像もつかなかったであろう体制を実現し効果を上げています。
 きっと、県内の市教育委員会や県教育委員会の中でも時代の潮流に遅れた教育制度を根拠なく支持する教育界の化石からの反発に苦労していることでしょうが、こうした教育者がいることも事実であるのです。
 中間期末などのテストを廃止したりして、学習意欲を高めることに成功した学校もありますから、現代の教育問題に真っ向から立ち向かっている教育者はまだまだいるのです。
 文科省にある中央教育審議会の答申では、教育制度に地域住民の参加など開かれた学校についての推進が、ずいぶん以前から出されています。教育は特殊な教育委員会の事務局のみではなく、もっと開かれたものでなければ、時代に取り残されてしまうのです。
 時代遅れの安全性を欠いた教育制度の被害者はこれからの子どもたちだということを忘れてはなりません。
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 ※ 阿部泰尚 この著者の記事一覧
https://www.mag2.com/p/news/mag_author/0001673137
2015まぐまぐ大賞受賞「ギリギリ探偵白書」を発行するT.I.U.総合探偵社代表の阿部泰尚が、いじめ、虐待、非行、違法ビジネス、詐欺、パワハラなどの隠蔽を暴き、実態をレポートする。また、実際に行った解決法やここだけの話をコッソリ公開。
『まぐまぐ!ニュース!』(2019.06.25 28)
https://www.mag2.com/p/news/403279?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0625
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