ピアノサロンAko
どうも天気が不安定で寒暖の差が大きい3月です。
昨日は台風並みの強風の中、友人のヨットの係留ロープが切れ桟橋にコツコツぶつかっているのに遭遇、夕闇の中、一人応急処置に追われました。 誰かいないかと見回したが、こんな悪天候の日に人影は無し。 突風の吹く中、重労働でしたが、今週は運動不足だったのでちょうどよい筋トレ運動になりました。
実は、前々から疑問に思っていたことがあってたのですが、先日、ある本を読んでいると私の考えと同じかな?という事が書いてありました。 (著者は日本人ではありません)
よく楽器屋さんのセールストーク(営業的説明)では、最初は電子ピアノなどの手軽なものから始めて、次にアップライトピアノで練習して、もっと上達したり音大目指すならグランドピアノに、というステップを多く聞きます。
しかし、前々から疑問だったんですよね、電子ピアノの上がアップライトピアノで、アップライトピアノの上位機種がグランドピアノだとはとても思えなかった。
私自身は、最初からグランドピアノが弾きたかったんですよね。
しかし、その考えがなかなか周りの人々に通らないのが現実でした。
現に、電子ピアノは最初から弾きたいと思わなかったし、アップライトピアノは少し練習に借りて弾きましたが、弾きたいという気になりませんでした。
これは贅沢とかそういうのではなく純粋にそう思ったのですが、ずっと違和感がありました。 それぞれ別の楽器のような気がしていたんですよね。
それが、ある本を読んでいると、「練習にこそ良いピアノを」・「最初は電子ピアノからではダメ」。 要するに、上達するまではピアノのような楽器で、上達してから本当のピアノをというのは全くの逆で、練習こそ弾き手に素直に反応する良いピアノが必要だというようなことが書かれてました。 そういえば、以前インターネットのどこかに「最初の真っ白の脳みそにこそ良い音色を刻み込んで…」という言葉を見たのを思い出しました。
私自身は、スタートから少し遅れてグランドピアノで練習を始めてクラシックが好きになり、手遅れと言われながらも原曲の楽譜と格闘しながら練習を続け、ピアノが大好きになりました。
電子ピアノのままだったら、今のようにピアノがクラシックが好きになっていただろうか? そして、上達していただろうか? と今でも思っています。
「練習にこそ良いピアノで」 その通りのような気がします。
どうも天気が不安定で寒暖の差が大きい3月です。
昨日は台風並みの強風の中、友人のヨットの係留ロープが切れ桟橋にコツコツぶつかっているのに遭遇、夕闇の中、一人応急処置に追われました。 誰かいないかと見回したが、こんな悪天候の日に人影は無し。 突風の吹く中、重労働でしたが、今週は運動不足だったのでちょうどよい筋トレ運動になりました。
実は、前々から疑問に思っていたことがあってたのですが、先日、ある本を読んでいると私の考えと同じかな?という事が書いてありました。 (著者は日本人ではありません)
よく楽器屋さんのセールストーク(営業的説明)では、最初は電子ピアノなどの手軽なものから始めて、次にアップライトピアノで練習して、もっと上達したり音大目指すならグランドピアノに、というステップを多く聞きます。
しかし、前々から疑問だったんですよね、電子ピアノの上がアップライトピアノで、アップライトピアノの上位機種がグランドピアノだとはとても思えなかった。
私自身は、最初からグランドピアノが弾きたかったんですよね。
しかし、その考えがなかなか周りの人々に通らないのが現実でした。
現に、電子ピアノは最初から弾きたいと思わなかったし、アップライトピアノは少し練習に借りて弾きましたが、弾きたいという気になりませんでした。
これは贅沢とかそういうのではなく純粋にそう思ったのですが、ずっと違和感がありました。 それぞれ別の楽器のような気がしていたんですよね。
それが、ある本を読んでいると、「練習にこそ良いピアノを」・「最初は電子ピアノからではダメ」。 要するに、上達するまではピアノのような楽器で、上達してから本当のピアノをというのは全くの逆で、練習こそ弾き手に素直に反応する良いピアノが必要だというようなことが書かれてました。 そういえば、以前インターネットのどこかに「最初の真っ白の脳みそにこそ良い音色を刻み込んで…」という言葉を見たのを思い出しました。
私自身は、スタートから少し遅れてグランドピアノで練習を始めてクラシックが好きになり、手遅れと言われながらも原曲の楽譜と格闘しながら練習を続け、ピアノが大好きになりました。
電子ピアノのままだったら、今のようにピアノがクラシックが好きになっていただろうか? そして、上達していただろうか? と今でも思っています。
「練習にこそ良いピアノで」 その通りのような気がします。