『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

着物

2020-11-28 03:35:31 | 着物
ここのところ着物のマイブームもすっかり去っていて、ずっと着ていませんでした。

去年は本番が多く、心のゆとりもなく、多分、一度も袖を通していません。
着るのはまだ良いのですが、脱いだ後の手入れが結構大変で面倒くさい・・

母が亡くなった頃は、形見の着物に包まれていると、母が護ってくれている気もして、何より母の流儀のラクな着方を教わっていたので、洋服と靴で過すよりも、ラクだったので、何処へ行くにも着物でした。

家でも、着物に割烹着で、ほぼコスプレ状態の日々。

そんな中雑誌「美しい着物」で甲野先生が「着崩れないナンバ歩き」を紹介されている記事に出会ったのが、最初の出会い。

今の日本に「古武術家」という仕事の人が居ることに驚き、何よりその写真の姿の凛とした、でも気負いのないすっとした佇まいに、ほぼ一目惚れだった。

当時は息子の中学受験真っ最中だったので、それっきりになったのですが、なんとか合格出来た春休み、新宿の朝日カルチャーに申し込んだのでした。

その折のことは、今でもアリアリと思い出されます。

考えてみれば、甲野先生とのご縁も亡き母が紡いでくれたのかもしれません。
なので、音楽家講座の時は、ず~~~っと着物でした。
洋服になったのは何時頃からか・・

それほど、大好きだった着物なのに、すっかり興味が失せて、ここのところはずっと洋服。

100回記念なのだから、やはり着物で礼を尽くさねば、と今回久々に着物。

久々に着るので案じていたのですが、なんとかなりました。

でも、最後、帯の手の長さが足りなくなって結び直すことに。
はいはい、太ったからね。

それ以外はシャシャっと出来ました。
半襟は古いスワトーハンカチのリメイク。
母はそんなことはしませんでしたが、私はガサツな自己流荒業で、両面テープで部分的に止めるだけ。脱いだ後にすぐに剥がせば、跡もつきません。

着物は細かい亀甲の絣の結城紬。
古いものですが、むしろ自然破壊が進んでいない時代の蚕の絹なので、上質。
軽くて暖かくて、身体が喜んでいる。


帯は小田急デパートの催事で初めて自分で買ったもの。
それほど上等ではありませんが、重宝しているヘビロテ帯です。


本当は先生と記念写真を撮りたかったのですが、携帯も壊れていたし、何より講座が面白く、すっかり失念していたので、帰宅後、夫に写してもらいました。

着物の方が洋服よりも体形のごまかしはきかなさそうなので、アリアリと太っていることがわかってしまいそう・・

というのも、着物離れしていた理由なのですが、
とはいえ、やはり着物だと沢山の方に褒めていただけて、気分も上がる。
・・来月も着物にしようかな・・

増えた体重分は免疫力アップに貢献していると思うことに。
ということで、元気です!



・・・・
面白い本を読んだせいで、すっかり目が冴えてしまい、こんな時刻に・・



新型コロナ「正しく恐れる」 西村秀一 著 井上亮編 藤原書店

2020-11-28 02:30:22 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
甲野善紀先生から一冊の御本を頂きました。

いつもは先生の著書なのですが、今回はこちら。

「手紙も入っているので見てください。」

「え?」

「うちのからのです。」

それは甲野先生の奥様からのもので、

「不安を覚えておられる方にご紹介いただければ嬉しいです。」

との添え書きが。

奥様は元は編集者で、かつてお世話になっていた出版社・藤原書店から、この本が出たとのことでした。

読書は好きで、本を読まない日はない・・のですが、最近は年齢のせいか、すぐに目が疲れて眠くなってしまい、中々読み進むことができません。

でも、この御本は、とてつもない集中力で一気に読み通してしまいました。

本を読むと脳が疲れて、お腹がすいてくるので、久々に夜、間食をしてしまいましたが。

色々と紛らわせてはいるものの、私も大きな不安を抱えている一人。

でも、読後は、いつのまにかTVの報道やワイドショー(やめればよいのに、つい見ちゃう・・)で洗脳されグニャっと混濁した頭の霧が晴れていきました。

歯に衣着せぬ語り口は、「よくぞこんな本が出せたなあ」と案じてしまうくらい。

著者の西村秀一氏は国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長。

自称「ウイルス屋」のウイルスの(本当の)専門家。

編者の井上亮氏は日本経済新聞編集委員。

以下、著者後書きからの抜粋です。

・・・・・・

「ウイルス屋」の立場からは、コロナ禍で登場している”専門家”のありように苦言を呈している。彼らの誤った指導の延長上で生じている「変な感染対策」を批判する。それによって生じた幾多の社会の負の側面や人々の感染対策疲れに心を痛めてもいる。誤った指導は修正されるべきだ。

・・・・・・・・・・・

また編者の前書きからの抜粋はこちら。

・・・・・・・・

たとえとして適切ではないかもしれないが、戦場と銃後の関係に似ている気もする。戦争は戦場の兵士だけで行われるものではない。戦場から遠い銃後の国民すべてが国家総動員体制下で個より全体への奉仕を求められる。戦争への「大義」「正義」に従わなければ全体の利益を損なう者として排除される。そのような社会では、個の自由、人と人との心のつながりは失われ、やがて人間の尊厳も否定されていく。それは社会にとって、戦場での損傷よりも深刻なダメージかもしれない。
(中略)
歴史を振り返れば、ウイルスの動きはうつろいやすくとらえどころがない。わからないことがまだまだ多い。新型となればなおさらである。私たちは深い霧の中を進んでいる。一つの大義、正義を丸呑みして突き進むと数メートル先は断崖かもしれない。
専門家は感染と犠牲者を抑止する「大義」と、そのための方策としての「正義」を語る人たちである。それが善意にもとづいていることは疑わない。ただ、その正義には様々な見方があり、過誤もあることを知っておくべきではないだろうか。
(中略)
「正しく恐れる」とはよく言われるが、そのためには正しい情報が必要である。正しく問うことも求められる。そうして得られた知識こそ、暴走した「正義」が人を傷つけ、社会を疲弊させることを防ぐのではないだろうか。その答えのいくつかが本書で示されていると思う。
・・・・・・

様々な考え方、意見はあるとは思いますが、私には大きな心の安定剤となったし、今後の「構え」や「覚悟」も生まれた本です。良かったら。



もう一冊、お勧めの本が書いてありました。

感染を恐れない暮らし方  本間真二郎 著 講談社

早速注文しようと思います。

(カテゴリーは本来は日常ですが、音楽家講座でご紹介くださった本なので「音楽家講座」にしました。)