「御着物、選んであげるにゃ!」
と、ピピが着物選びをお手伝いしてくれました。。。
というのは、もちろん嘘で、桐の箪笥から着物や帯を出して、帯締め、帯揚げなどを選んでいたところ、ふと気配を感じると、いつの間にかピピが侵入してきて・・
時間がかかるので、ガラケイ持参で2階の着物部屋に居たので、それでパチリ。
いつもレスポンスの遅いガラケイでのピピの写真は失敗ばかりなのに、これは偶然ですが、動かぬ証拠写真となりました。
と、ピピが着物選びをお手伝いしてくれました。。。
というのは、もちろん嘘で、桐の箪笥から着物や帯を出して、帯締め、帯揚げなどを選んでいたところ、ふと気配を感じると、いつの間にかピピが侵入してきて・・
時間がかかるので、ガラケイ持参で2階の着物部屋に居たので、それでパチリ。
いつもレスポンスの遅いガラケイでのピピの写真は失敗ばかりなのに、これは偶然ですが、動かぬ証拠写真となりました。

本当に、油断も隙もない・・・
今回は白大島に紙布の帯。

甲野先生と出会った頃、NHKTV,「人間講座」の収録に招いてくださって、私も手裏剣を初体験ということで登壇させていただいたのですが、その折に着ていたのが、この白大島。
当時、養老先生つながりで、甲野先生に関心を持っていた弟がこの番組を観ていて、いきなり画面に白い着物を着た姉が登場したのをみて、驚いて、電話をかけてきた。
「・・お姉ちゃん、何やってるの?!」
母は「着ようと思うと雨降っちゃって・・」と大切にしていて結局袖を通さぬまま、癌で臥せることに。
しつけのついたまま残された、一番思い出深い着物です。

日経新聞の取材の時にも、他にもいろんなメディアで取り上げていただくときも、いつもこの白大島でした。
母の分も着倒そう、と決めた白大島は、裾の裏地が擦り切れてしまったので、10年くらい前に、呉服屋さんで裏を張り替えてもらうことに。
最初は母の好きな紫だったのですが、私好みのセージグリーンに。
この呉服屋さんは、甲野先生の門人だった方で、今は韓氏意拳の指導者になられた若旦那のUさん。
先生の門人には「史上最強の呉服屋の若旦那」という凄い?人達が二人いて、一人は丸亀のMさん、そしてこの目白のUさん。
でも、御二人とも、今は代替わりされて若旦那ではなく、「西と東の史上最強の呉服屋さん」に。・・怪しい・・
合わせた紙布の帯も、帯締めも、Uさんに見立てていただいたもので、これまた気に入っている。

全て母のもの、という組み合わせもあるのだけれど、やはりなんとなく古臭い感じは否めない。
塩瀬の染め帯もはんなりしていいな、とは思うけれど、やはり今の気分にはそぐわない。
紬にも織りの帯、という合わせ方が好き。
なので、帯や帯締め、帯揚げは自分で購入したものを母の着物に合わせることが多い。
とはいえ、この帯も、もうかれこれ10年になっていて、良い感じにこなれてきてとても締めやすくなっていました。
・・・・・・・・・・・・
本日は、早速久々の着物暮らし。
とはいっても、昔のように、ちゃんと着て割烹着というのではなく、かなりラフに。
木綿のタートルネックとスパッツ、べっちんの足袋に紬の着物と半幅帯。

子供の頃、父は帰宅後はスーツから着物に着替えて寛いでいた。
冬はタートルセーターに着物ということもあった、というのを思い出して。
この着物は義母の母、つまり夫のおばあちゃんから伝わった久米島紬で、裾には他の着物時で補修がしてあります。おそらく日常に着ていて、自分で繕われていたのでしょうか。細かい縫い目に驚かされます。
ほつれかけていた箇所に白い地があり気になってひっぱってみたら、なんと家紋!?


夫に見せたところ、その家の家紋だそう。こうやって、色々とやりくりして補正していたのだなあと呉服屋さん任せにしかできない我が身を振り返る・・
100年近く経っているものだろうに、今も鮮やかで、天然染料ならではの、着こまれた布独特の艶がある。
よそ行きでも良い紬なのですが、残念なことに若干身幅が狭い。
なので、これを普段着にすることに。
半幅帯は骨董市で1000円で入手した昔の帯をクリーニングに出してから自分で仕立て直したもの。とはいっても、手芸用両面テープでチャチゃとですけどね。
本当に簡単な、いで立ちですが、ラクで暖かいことにびっくり。
ガーネット、ターコイズ、ラブラドライト、琥珀などの天然石系のアクセサリーなんかも映えそうで、ちょっと怪しい人の気配になるのも楽しい。
この格好で外に出る勇気はまだ(!?)ありませんが、ご近所に回覧板を渡しにいくくらいなら大丈夫か。
急に寒くなりましたが、嫌な感じの足先の冷えも全く感じることなく過ごすことができました。
家事の時にはこれに割烹着。割烹着も久々の出番。
フルート、杖、抜刀のお稽古も、これで。
色々と気付きもありましたが、それはまた後日。