前回の「フルート体」によって、大きく変化したフルート。
これにより、楽器こみの心身の釣り合いが取れるようになった、ということが大きな要因だけれど、それ以上に「自分が抜ける」という感覚に近付けたことの変化が大きかった。
でも、今回、その進展と反比例するようにフルートを吹く、という意欲がかつてないくらいに減衰。
以前、出来なかったことがサラっと出来るようになったり、より響きも増して、と良いことばかりなのに、このあたりが不思議でした。
おそらく「自分」の愉しみの中で吹いていたので、その「自分」が抜けてしまうと、何やっているんだかよくわからない、というちょっとした戸惑いと混乱があるからかもしれない。
さらには、「こんなに進展しても、この程度の音しか出ないの?」という絶望感がより増す。
もともと、自分にはかなり甘い方だと思うのに、こんなに「あ~~~あ」と思ってしまうのも、かつてなかったことで。
これはやはり、心の問題か?
『天狗芸術論』や『猫の妙術』、そして『願立剣術物語』にしても、語られているのは心。
こうした教えを読む時、いつも感じるのは、頭ではなるほど、と納得しても、到底、自分には、そのような境地は縁がないなあ、という情けなさ。
これはもう、限界なのかもしれない?
こんな心境をお話してから、レッスン開始・・
前回の「フルート体」となることで、上半身は本当に抜けましたね、とお褒めいただき、
でも、足はどうですか?と、今回の修正は足とそれに関連しての腰。
これでまたさらに別世界に。
「ああ、下半身が上半身の変化に伴っていなかったから、違和感を感じて、こんな音じゃいやだ、という気持ちになっていたのだなあ」と納得。
これまた「言葉」のご指導なので、ここに記すことはできませんが、かなり変化。
指先、指、足裏、夫々をどのように取り扱うかで、腰の安定が大きく変化する。
帰宅してすぐに試しましたが、もうびっくりするくらいに変化して気味が悪い程でした。
エネルギー効率がより増している。倍増どころじゃない程に。
そうそう。欲しかったのはこの音なんだよね、とまた意欲がフツフツと・・
これにより、楽器こみの心身の釣り合いが取れるようになった、ということが大きな要因だけれど、それ以上に「自分が抜ける」という感覚に近付けたことの変化が大きかった。
でも、今回、その進展と反比例するようにフルートを吹く、という意欲がかつてないくらいに減衰。
以前、出来なかったことがサラっと出来るようになったり、より響きも増して、と良いことばかりなのに、このあたりが不思議でした。
おそらく「自分」の愉しみの中で吹いていたので、その「自分」が抜けてしまうと、何やっているんだかよくわからない、というちょっとした戸惑いと混乱があるからかもしれない。
さらには、「こんなに進展しても、この程度の音しか出ないの?」という絶望感がより増す。
もともと、自分にはかなり甘い方だと思うのに、こんなに「あ~~~あ」と思ってしまうのも、かつてなかったことで。
これはやはり、心の問題か?
『天狗芸術論』や『猫の妙術』、そして『願立剣術物語』にしても、語られているのは心。
こうした教えを読む時、いつも感じるのは、頭ではなるほど、と納得しても、到底、自分には、そのような境地は縁がないなあ、という情けなさ。
これはもう、限界なのかもしれない?
こんな心境をお話してから、レッスン開始・・
前回の「フルート体」となることで、上半身は本当に抜けましたね、とお褒めいただき、
でも、足はどうですか?と、今回の修正は足とそれに関連しての腰。
これでまたさらに別世界に。
「ああ、下半身が上半身の変化に伴っていなかったから、違和感を感じて、こんな音じゃいやだ、という気持ちになっていたのだなあ」と納得。
これまた「言葉」のご指導なので、ここに記すことはできませんが、かなり変化。
指先、指、足裏、夫々をどのように取り扱うかで、腰の安定が大きく変化する。
帰宅してすぐに試しましたが、もうびっくりするくらいに変化して気味が悪い程でした。
エネルギー効率がより増している。倍増どころじゃない程に。
そうそう。欲しかったのはこの音なんだよね、とまた意欲がフツフツと・・