夕刻に一雨来たものの、蒸し暑さが続いた一日でした。
関西から昨夜帰京されたばかりの先生。
年齢のことを考えると、とても無理なお願いをしていることが心苦しいですが、今回も充実の素晴らしいひと時を過ごすことができました。
関西から昨夜帰京されたばかりの先生。
年齢のことを考えると、とても無理なお願いをしていることが心苦しいですが、今回も充実の素晴らしいひと時を過ごすことができました。
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(お話)
願立剣術物語にもあるように、出来ない原因はわかっても、出来た原因というものはわからない。
それを今、実感している。
ピダハン同様に、我々も右と左がわかっていない。
右と左の違い。一ひねり(動作を)入れるだけでも、人は混乱する。
「基本をしっかり」というのが、一番上達を阻害している。
言語など、誰からも教わらなくても、しゃべることができている。
それを、頭で考えた時点で違ってしまう。
「基本に忠実」は最大の悪しき伝統だ。
自分の基本をつくる。
自分の術理「ふんばらない」等は概念としての基本であって、ああしましょうというような具体的動作としての基本ではない。
いわゆる、先生、先生した教師はだめで、良い教師とは、自分を限りなく消して、生徒があたかも自分で気付いたようにさせることができる教師である。
これは、日本の職人の世界では伝統的な教え方。
親方はダメ出ししかしない。
言葉を自然に覚えるような世界。
「まず基本を身につけよう」なんて馬鹿げている。
先日の京都で、この基本の害の大きさが身に染みた。合気道をやっていた頃の基本を、相当解体してきても、あちらこちらで芽を出してくる。
教えるものは、極力、余計なことを言わない方が良い。
この一例が相手を崩す時の左右の腕の動き。
基本とされている左右が同じ時計回りではなく・・
こうした「基本の弊害」からどうやって自由になるかが大変。
人間がものを学ぶとはどういうことか。
(技を紹介しつつ)
身体が流線形でスーっといくようにするもの。
それとは別のよくわからないもの。
これは感覚的なもので、やろうと思ってやっていない。
「手はださない」と思いつつやる。
自分ではなく、他の誰かにやってもらう。
相手は私の意識に反応している。
「手を出す」という認識のスイッチを切る。
(本番などで緊張する場合は)「緊張する」「上がる」というスイッチを切る。
自分一人の世界に入るスイッチを入れる。
(手の甲に触れて置いて、その後手首を掴む技をやりながら)
手だけではなく全身で動かす。
手の力をもっと抜くと払えなくなる。
「溶けたような腕」
らせん状についている筋肉を少しも逆流しないように合わせる。
現役のサッカー選手や140キロの力士とやっても、振り払うことができるが、それが何故出来るのかを物理的に説明する日本語がみあたらない。
親指を曲げて、椅子から相手を起す。
(これらの技を希望者が体験)
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(個別指導)
パリから3年ぶりに一時帰国されたご家族
御子さんから緊張への対処法の質問
掌の中央のくぼみをへこませる。
(蕾の手の内)指の間を開く。
改良版は人差し指をのばすといいかな?とのこと。
何かトラウマに対して、心理的カウンセリングよりも、身体の形を変えて、心に働きかける方が良い。
親指を中に入れるか、外に出すかで、気勢の上がり方は大きく違う。
合気道などで、止められるのは、力の方向がわかるから、
止められない技は、方向がよくわからないので、絶えずさぐっていることになる。
肘から先が溶けているような。
(ピアノ弾き語り)
緊張されていたのが、指紐で大きく変化。
ピアノ、声ともに、のびやかに。
(鎮心のつぼの体験希望)
他の方同様、目の前で竹刀を振られても全く動じなくなる。
(みな、彫像になってしまったかのよう。)
(フルート)
緊張すると、特に口元が震えてしまう、という相談。
丸紐の四方襷で、震えがなくなり、音も深みが増し、変化。
他の方同様、目の前で竹刀を振られても全く動じなくなる。
(みな、彫像になってしまったかのよう。)
(フルート)
緊張すると、特に口元が震えてしまう、という相談。
丸紐の四方襷で、震えがなくなり、音も深みが増し、変化。
四方襷で縄跳び15回の子供が一気に100回になったことも。
身体の繋がりがよくなる。
(人間関係のストレスには?)
真言宗の「光明真言」を唱えるのが良い。
1200年の対心の知恵の集積。
覚えて唱えられるようになるのが良い。
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時間が余ったので、再度先生のお話。
丸紐のその他の効用と様々な検証。
浴衣の帯の上からでも変化。
くすぐったがり屋さんにも有効。
人間だけでなく、花火などに驚く犬猫にも有効。
平な紐はだめ。
手の内で行うのと、心で行うのとは全く別物。
「浮きをかける」ということが重要。
台車ごとガラガラっと引かれるような。
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関西の旅の中でも、さらに進化された先生の技が凄かった。
当初の予定よりも参加人数が減って、個別指導枠もゆとりがあったのに、今回フルートを持参していなくて残念。
でも、しっかりと新たな先生の技は堪能させていただきました。
右と左と、どちらを追えばよいのかわからに不思議な感覚。
およそ、通常の人間の動きで、このような感覚になることはないと思う。
通常ない動き。
合気道の「基本」では真逆なのだから・・
私のフルートの持ち方の変化も、似たようなところがある。
「基本」と信じて疑うことなく半世紀、見当違いの場所で笛を構えていたのだから・・
とここまで書いて、気付いたのは、以前のご指導の左手は煙立ち上り、右手は水が下に流れるように、というもの。
これだけでも、大きく変化したのだけれど、今日のものを応用したら、より身体の協調が進む気もしています。エアフルートでやってみたら、より指付け根あたりのツマリが消えた感もある。明日試みるのが楽しみです。
ご参加くださった皆様、お手伝いしてくださった皆様、先生!
今回もありがとうございます。
次回は同会場同時刻で、8月24日(水)です。
どうぞよろしくお願いいたします。