☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

神想観についての心得書き(1)

2013-09-13 17:33:05 | 今日の言葉

『光の泉』昭和三十五年十二月号より  谷口雅春先生


セオソフィー(霊智学「れいちがく」と訳す)と云(い)うブラバッキー夫人と云うヒマラヤに住んでおった非常に霊能のある人が始めた宗教があります。それとの医学的の関係を書いた本を私が最近(昭和三十四年)『靈智醫学(れいちいがく)と治病』と云う翻訳書で出しましたけれども、あのセオソフィーの一派の教祖さんでアメリカに居りましたアリス・A・ベーリー夫人と云うのがあります。この人は一昨年死にましたけれども、この人は大変霊能の高い人でした。

それがこの“精神集中のために、必要なる練習の仕方としてあげた所の方法”は、これが神想観の時にも非常に参考になるので、紹介いたします。

神想観の時にも斯(こ)う云うような気持でおやりになるが良いと思うのであります。それで次に引用したわけであります。



(一)肉体を安らかにどこにも凝(こ)りのないように統制する


「凝りがない」と云うことは、「だらしない」と云うことではありません。生長の家では、一番正しい坐り方にあることが、どこにも凝りのない姿勢であるとして、尻を後方に引き、前方にある膝(ひざ)と尻とで背骨を載せる三角の台たらしめ、其(そ)の上にちゃんと柱である背骨が立って、

重心が一定の処(ところ)へ落ち着いて一番楽で長時間疲れない姿勢と云うのが、あの生長の家の神想観の正しい姿勢であります。



次回に続く・・・






神想観は坐禅観法(1)

2013-09-13 17:32:15 | 今日の言葉

『精神科学』誌 昭和三十年八月号より  谷口雅春先生


吾々の団体では神想観と云う精神統一法を実修していますが、これは一種の坐禅観法であって、各自が「神の生命吾に流れ入りてわが生命遍(あまね)く法界(ほっかい)に満つ」底の念を持(じ)して精神統一に入るのであって、誰も互いに相手に術を施(ほどこ)すのではありません。

それは「唯倶に打座して心身脱落し、三昧(さんまい)に入り、遍法界尽虚空ことごとくさとりとならしめる」道元禅師の「正法眼蔵」にある底の坐禅観法であります。

無論「心」は波動であるが故に、古来、坐禅に於いても、先輩悟入せる師について倶(とも)に座するときは心の波動的影響により、言詮不及(ごんせんふきゅう)、不立文字(ふりゅうもんじ)の悟りを直指単伝(じきしたんでん)することが出来易(できやす)いので、

先輩と倶に一室に端坐してその雰囲気的指導も受ける事が行われたので、神想観の指導も、それと同じ意味に於いて何十人でも何百人でも一堂に座し、特定の修行室に入り得ざるときは、宇宙を一つの堂と観じ、同時刻に坐して、相互修養の同志又は先輩と共に一同に参ずる思いをなし、

「神の生命吾れに流れ入りて、吾が生命遍法界に満つ」底の観念を為して共に倶に精神統一に入ることは悟を進める上に偉大なる効果があるのであります。



次回に続く