「 心 」 とはこれを 「 意識 」 とも云い、ものを感ずるところの働きである。
それは自分の存在することを知り、自分の環境を知るところの働きである。
「 意 」 は欲する働きであり、自己の存在を自證(じしょう)するのである。
「 識(しき)」 は外界を知る働きである。
「 意思する自分 」 があることは自明の事実であってそれは証明を要しないのである。
その 「 意思する自分 」 が何がゆえに外界を識(し)ることが出来るのであろうか。
それは内界と外界とが 「 本来一つ 」 のものであり、その波動を一つにするものであるからである。
然(しか)らばその 「 本来一つ 」 のものとは何であろうか。それは物質か、心か?
『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 十日の法語 谷口雅春先生