「 天上天下唯我独尊 」 の自覚は、「 有情(うじょう)・非情(ひじょう)
同時成道(どうじじょうどう)」 の悟りに連るのである。
自分だけが“ 独尊 ”であって、他のものは悉く自分より下等なものであるというような
“ 自己 ”中心的な“ 他個 ” 軽蔑的なものの考え方は凡そ悟りから遠いものなのである。
“ 有情 ” 即ち “ 情(こころ)あるもの ” も
“ 非情 ” 即ち “ 情(こころ)なきもの ”( 無機物 ) に至るまでも悉く、
同時に“ 道 ” の現成であるということが「 有情・非情同時成道 」 である。
“ 道( コトバ ) ” は天地に満つる “ 法 ” であり、
「 太始( はじめ )に道( コトバ )あり 」( ヨハネ伝 )の“ 道( コトバ )”であり、
“ 仏性 ”であり、“ 法身の如来 ”であり、天地の理法であり、“ 神 ”である。
かくして、有情・非情を“ 法身の如来 ” がそこに姿を顕わされたものであるとして見るとき、
天上天下唯我独尊の自覚は、何処にも傲慢(ごうまん)のかげもなく、
その独尊の絶対価値を 天地の万物一切に見出して拝むことができるのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二日の法語 谷口雅春先生