万物に内在する絶対価値を見出すには、浮雲(ふうん)のように去来する現象の不調和な姿に、
心を引っかからせてはならないのである。
浮動変化して常なき有様が ー 時には現象の表面に不完全な様相をあらわすような事があっても、
それは唯、外見であって、内には完全円満な“ 如来 ”を蔵するものである。
その内に埋没せる“ 如来 ”は、外面の不完全さのみを見ていては 現れて来ないのである。
どんなに不完全に見えても、その外見に眼を閉じて、心の眼をひらいて、
実相の完全さを見るとき、それをジッと見詰めて礼拝する毎日をつづけるとき、
“ 内在の如来 ”の完全さがあらわれて来るのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 三日の法語 谷口雅春先生