実相礼拝の行事によって、恰も「縁なし」と見える衆生の仏性を目醒(めざ)めしめようとせられた方が、
法華経の“常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)”なのである。
この菩薩は「 われ常に軽んぜず 」と唱えて、
いかなる浮浪者でもヤクザでも、また彼を石をもって打擲(ちょうちゃく)しようとした者すらをも、
「あなたの実相は“如来”でいらっしゃいます。当来 必ずその如来の実相のあらわれる方であります」と
いって、ひたすら相手の実相たる“ 内在の如来 ”を礼拝したのである。
生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十日の法語 谷口雅春先生