吾々が政治運動に踏み切ったのは、中央にただ一つの中心があり、
その中心は神意を受けたる神聖中心であり、すべての民族、国家、国民、
悉(ことご)くその神聖中心に帰命(きみょう)し奉りて
調和して繁栄せる万徳円満の理想世界の招来を希望して、
その実現を心に描いて神想観し、祈りつづけて来た結果、
その実現の行動化の過程として内から“ 催(もよお)し ”て来たところの
自然的運動に ほかならないのである。
宗教家が山に籠(こも)って座禅瞑想のみに終始し、或いは教会で祈っているだけで、
何の行動化をも起さなかったならば、毎年三百万人前後の胎児が母胎の中で惨殺されて
引きずり出され、コマ切り肉のようにして棄て去られている悲惨なる出来事を
停止させることもできないのである。
われわれが祈っておれば「誰かが行動を起してくれるであろう」などと、
責任を他に転嫁して 自分は何も行動を起さないのは卑怯なのである。
吾々は卑怯であったり、偽善であったりしてはならないのである。
人類救済に誰かが行動を起す必要があるならば 先ず自身が行動を起すべきである。
地上天国実現に、誰かが行動を起さなければならないならば、先(ま)ず自身が
行動を起すべきであるのである。
『 人生の秘訣365章 』( 98頁 ~99頁 ) 谷 口 雅 春 先 生
“ 夏 ” 人生支配の秘訣 4月 ・ 希望実現のための法則
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