感謝の祈り、自然に実相の流露(りゅうろ)する祈り
祈る必要も何もない、そのままで人間は神の子であり救われているのに
なぜ祈るかと申しますと、先刻 申しました実相に調和した念を起こすためですが、
いっそう進むと自分が神の子である円満完全な実相を悟ると自然にありがたくて、
それを唱(とな)えずにはおれなくなる。
そういうぐあいの祈り、仏教ならば常住坐臥(じょうじゅうざが)の念仏というものにならないと
本当の祈りではないのであります。
谷 口 雅 春 先 生
頭注版 『 生命の實相 』 第 30 巻 聖典講義篇 山上の垂訓の示す真理 243頁
祈る必要も何もない、そのままで人間は神の子であり救われているのに
なぜ祈るかと申しますと、先刻 申しました実相に調和した念を起こすためですが、
いっそう進むと自分が神の子である円満完全な実相を悟ると自然にありがたくて、
それを唱(とな)えずにはおれなくなる。
そういうぐあいの祈り、仏教ならば常住坐臥(じょうじゅうざが)の念仏というものにならないと
本当の祈りではないのであります。
谷 口 雅 春 先 生
頭注版 『 生命の實相 』 第 30 巻 聖典講義篇 山上の垂訓の示す真理 243頁